詩人と哲学者(11月の窓から)
勉強の前に音読する理由
私の塾では授業の前のウォームアップとして音読をしている。
簡単で、数分あればできるし、何より年齢問わずだれでもできる。
まず立ち上がって体を十分リラックスさせたら、
姿勢良く立ちおへその下に両手のひらを当てる。
そして前方に向かって大きな声で「あ、い、う、え、お」とはっきり発音する。
口はなるべく大きく、声はのどからではなく、下腹から。
音を一つ出す度に下腹がぴょこぴょこと凹むイメージでやってほしい。
ある時、音読を2週間ほどやらなかったことがある。
最初、わたしは変化に気づくことが出来なかった。でも音読をやらなくなってから、与えられた時間内に課題を終えられない生徒が増えた。
彼らは怠けているわけではなく、エンジンがかかっていない、またはペースがつかめていないようだった。いつもと同じ課題をやってなぜ時間がかかるのか、その時は理由がわからなかった。
そんな状況が何度か続き、ふと授業の始めに音読を忘れていた、と気づいた。根拠はないが、経験上なんとなく音読をしていないから生徒が違うのだと感じた。
それからというもの、授業で生徒が入れ替わる度に音読を欠かさない。
失敗をしたからこそ、音読の持つ本当の力を実感した。
音読は学習のためのエネルギーを与えてくれる。
音読は学習を進める上でペースメーカーになってくれる。
子どもたちの表情や姿勢にも良い変化が見られる音読、やっぱり良いな、続けたいなと思う。
つけててよかった連絡帳
手のひらサイズのシンプルなノートを連絡帳として使用している。
子供たちは自分で、その日の気温、湿度、月の形などを記録をする。そして季節が変わったある時、気温や湿度が変わっていることに気づく。
授業後には自身で授業を振り返り、短い感想や目標を書く。
その記述の中には時々生徒の本音が混じっているので、それを見逃さないようにしている。
ある生徒と勉強の進め方、家での学習時間について話し合った。その後、勉強への取り組み姿勢が変わって、連絡帳に書く言葉も変化した。できてうれしい、自信がついた、などの言葉を見るとこちらも幸せになる。
いつも変化球を投げてくる生徒の連絡帳は、彼の世界観にあふれている。授業の振り返りではなく、身近なことに関する哲学的な思想を披露してくれる。
ハマっているゲーム、歴史上の出来事、時には動物園も、彼はいつも人とは違う視点から見ている。彼のノートはいつも私を笑わせてくれる。
困るのはコメントを書く時。私の思想を試されているようで、彼の連絡帳にコメントをするときはいつも少しばかり緊張する。
感性を育てる授業
今年の夏休み、私たちは作文教室で小さな物語をつくることを試みた。
生徒たちは、自分が書くことは得意でないと思っていたので、書き始めるまでに、しばらくかかった。
でもお話を作ることは本来とても楽しいことだし、子どもたちはそのことに気づき、その後はスムーズに鉛筆が動き始めた。
どの作品も、音、色、空気の描写を工夫し、思い思いの物語に仕上がった。今回その中から私が選んだ作品を一つ紹介する。
小学5年生の男児の下書きを、私が原稿用紙に清書した。
「ジャボント川に寝転んだ」シーンがいいなあと思う。「体を透き通るような風」という表現はとても詩的な感じがして印象に残る。
最後にもう一つ、生徒の感性にあふれた作品を紹介する。
この11月から、作文の描写の練習の一環として、静物画を始めた。
授業後に5分もあればできる。鉛筆と名刺サイズの紙を準備して、描くものは紙のサイズに収まるくらいの何か小さなもの。
今回は柿。完璧に赤く熟した甘さのたっぷり詰まった柿が、「食べて」ではなく「描いて」と訴えている?
小学2年生の女児は喜んで描いた後、あんまり上手に描けたので持ち帰ってお母さんにも見せて喜ばれた。
作文、絵、それぞれの作品に感化され、これからも子供たちの感性を育てる授業をしたいと思った。子供たちの感性はいつでも甘くみずみずしく優しい。