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戦国武将について話そう

長い夏です。

でも今日は中秋のお月見。綺麗な満月が望めるでしょうか・・・

お月見といえばお団子。

白玉団子にあんこ、家族の好物でよく作ります。

今日は黄色いお団子にしてみましょうか・・・🌝


さて、まだ夏の余韻が残る中、今夏の思い出から、

「戦国武将」

取り上げます。9月から10月の「たんきゅう」コーナーのお題でもあります。


夏は私にとって戦国武将に出会う季節。

今年行った旅先でも、数人の魅力的な武将に出会いました。

今回も作文仕立てでご紹介します。


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戦国武将に出会った夏




初めて古戦場と言う場所を訪れたのは、息子が6年生の時だった。

江戸幕府が開かれるきっかけとなった、天下分け目の関ヶ原の戦い。

名古屋から電車で約45分、関ヶ原は自然豊かで穏やかな土地だった。広い野原を歩き、小高い丘に登りながら、武将一人一人の足跡を辿った。

まず、天下分け目のこの大合戦は、たった1日で決着がついた。徳川家康はこの戦いに勝ち、今の東京、江戸に幕府を開き天下人となった。

でもこの土地を訪れ、もっと見えてきた世界があった。一人一人の武将が、どんな思いで、どう戦ったかということ。

戦いの途中でいきなり裏切って、敵方についた武将がいた。
親友のため、失明を押して輿にかつがれて参戦した武将がいた。
決戦に遅れてきて父親に激怒された武将がいた。

これらのエピソードが、戦国武将をグッと私に近づけた。

戦国時代は面白い、戦国武将は愛おしい、そう思った。

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仙台のお殿様

今年7月、仙台市を訪れた。

仙台駅から歩くこと約40分、山を登っていくうち、ミーミーと鳴いていたセミはツクツクボウシとなり、そして最後にはカナカナカナ…とヒグラシの声に変わった。

頂上は涼しく、ヒグラシが鳴いていた


その山の頂上、本丸と言うところに彼はいた。名前は伊達政宗。

4、5メートルはありそうな台座を見上げると、南中を過ぎた低い太陽が背後を照らし、兜の中の顔はよく見ることができなかった。

その光がまるで後光のようで、独眼竜とよばれ、大阪、江戸にも引けを取らない、大城下町、仙台を築き上げた威光を漂わせていた。

兜の三日月がトレードマーク

幼少の頃には、毎日朝一番の光に手を合わせ、「痛い時は痛くない、暑い時は寒い、寒い時には暑い、泣きたい時には笑え」と言われて育ったという。

伊達軍の大将となってからは、「大将は生きて在ること」、つまり、大将は死んでは行けない、という父の言葉をキモに命じた。

豊富秀吉、徳川家康という天下人とも渡り合い、民の平和、豊かな土地を夢見て、政宗が築き上げた仙台の街が、眼下に見渡せた。

はるかに高い頭上をおおうケヤキ並木、
それを揺らす穏やかな川風、
そこから地上に落ちる木漏れ日、
市街を囲む、なだらかな緑の森・・・

まさに「杜の都、仙台」であった。


仙台城のあった青葉山から広瀬川をのぞむ


仙台駅で、土産店に寄った時、目を見張った。
折しも仙台七夕祭りの前日、街は色とりどりの短冊に彩られていた。

そのきらびやかさをガラスケースの中に移したような、美しく洗練された和菓子が並ぶ。

喜久福、ずんだ餅、三色もなか、萩の月・・・あずき色、新緑の色、満月の色・・・伝統のゆべしに、美しく可愛らしい駄菓子・・・

仙台は、肌で感じて美しく、目にも舌にも美しい街だった。

こうして、戦国武将と過ごした夏の1ページが、また心に刻まれた。


仙台駅構内はすでに、七夕飾りで色めいていた


(終わり)

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