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どうやって外資系ITで働くワーママになったのか?
数ある記事の中から見つけていただき、ありがとうございます。
私は、現在外資系ITでマーケターとして働く傍ら、3歳女の子の育児に奮闘中のワーママです。
ごく普通の日本人家庭に生まれ、日本の公立高校に通い、日本の大学を卒業し、グローバルとは縁遠い環境で育った私が、なぜ外資系ITに勤め子どもをインターナショナルスクールに通わせようと思ったのか、まずは自己紹介を兼ねて簡単に生い立ち〜現在のキャリアを書かせてください。
学生時代
東京とは名ばかりの、娯楽もない(当時)最寄駅にはスーパーも何もない大田区の某エリアで三人兄弟の長女として生まれる。
母曰く、幼稚園の時に書いた将来の夢は「スチュワーデス(時代を感じますね。いまはCAですね)」だそうで、飛行機に乗ってみたい、海外に行ってみたいという思いはこの頃から抱いていたよう。
高校までは都内の公立に通い、お世辞にも裕福とは言えない家庭だったので、旅行といえばもっぱら都内近郊の海水浴場+旅館。海外旅行など夢のまた夢で、グローバルとは縁遠い子ども時代。
ただ、唯一習い事として小学校の時に公文に通わせてもらっており、そこで英語を勉強したことで覚えた単語を親戚に披露して賞賛されたことに気を良くし、「自分はいずれ英語をマスターして海外に行くんだ!」と漠然と思っていた。
ただ、当時は英語をマスターするために何をしたら良いか分からず、とりあえず公文で出された課題をこなすのみ。
大学時代は留学生も多い環境だったことから、積極的に英語のクラスを受講し、多少なり英語を学ぶもまだまだ話せるというようなレベルには至らず。
社会人
大学時代、初めての一人暮らしで解放感がフルスロットルとなり遊びにバイトにと精を出した結果、就活準備に乗り遅れる。当時憧れだったサークルの先輩がアパレル業界に就職したと聞いて、「アパレルとかおしゃれやん。自分服好きだし」と安易にアパレル業界への就職を決める。
新卒でアパレル企業に入社し、店舗配属。ショップスタッフからブランドPRになる。
アパレル業界で2回転職し、PRからマーケティングにジョブチェンジ。このジョブチェンジが人生の転機に。
日本企業の海外マーケティング担当
当時勤めていた会社は日本ベースでありながらも、海外(主にアメリカとヨーロッパ)のブランドを国内で展開するライセンスビジネスをしており、日本のブランドを海外でも展開するプロジェクトが始動。当時そのブランドのマーケティングを担当していた私に、アメリカでのマーケティング担当として白羽の矢が立つ。
それまでは海外とのやり取りと言っても、撮影で海外に行った際に現地メンバーと当たり障りない世間話する程度。撮影自体はコーディネーターが付いているので、難しいことは何もなかった。
なので海外マーケティング担当なんて自信は皆無。
ただ願ってもないチャンスなので二つ返事で引き受け、晴れて海外で仕事する機会を得る。
余談ですが、おぎはやぎの矢作さんがどうしても海外で仕事したくて、英語が出来ると嘘をついて海外駐在をゲット。ただ本当に全然英語ができなかったので、現地でのやり取りは「あとでFAX送るから」と言ってなんとか凌いでいたという私の大好きなエピソード。
そんな矢作さんは今は流暢に英語を話せるそうなので、ためらわず飛び込んだもの勝ちだなと思いました。
海外マーケティング担当として年の三分の一をアメリカ、ヨーロッパ出張で過ごすこと3年。
なんとかビジネス初級レベルで現地メンバーとやり取り出来るまでになる。ただ、圧倒的にボキャブラリーと単語の引き出しの少なさを痛感し、ここから真剣に英語学習をはじめる。具体的に何をやったかは長くなるので別記事で。
結婚、フリーランスへ
端折りましたが、海外マーケティング担当になる少し前に仕事で知り合った取引先の担当者と縁あって結婚。同じアパレル業界なので仕事への理解はありつつも、海外と日本の往復を繰り返す生活に体力の限界を感じる。ふと気づけば30代中盤。このままがむしゃらに働き続けるべきか、立ち止まって考えたいと思っていた矢先、新型コロナウィルスの影響で出張がなくなり、リモートに。これは一度立ち止まるタイミングかもと思い、思い立って仕事を辞めフリーランスに。
フリーランス時代は前職でご縁のあった企業などからありがたくもお仕事をいただき、ゆったり自分のペースで働こうと思い描くも現実はそんな上手く行かず、会社員時代以上の激務に…予想外すぎる。
そんな中、妊娠し激務を乗り越え無事出産へ。妊活についても長くなるのでまた別記事で。
出産〜怒涛の子育てスタートからの転職
無事出産後、待ったなしの怒涛の子育てがスタート。しかし元来計画性のない私の完全なる計画不足で、産後間もないタイミングに仕事の繁忙期が重なる。
当時2人従業員を雇っていたが、それでも回らず土日もなく働き、子育ては同じく自営業のパパとシッターさんと3人体制で何とか回すも、これは長く続けられない、子どもとも向き合えない、そして何よりピープルマネージメントも経理も全て自分でやらなければならない自営業に向いてなかったという散々な状況で、もう一度会社員に戻ることを決意。あらゆるサイトとエージェントを駆使し、自分のマーケティングスキルを活かせる今の外資系ITに転職。
すみません、ここに至るまで長すぎましたね…
次の記事ではなぜドメスティックな環境で育った我々夫婦が子どもをインターナショナルスクールに入れようと思ったのか?について書きたいと思います。