ヨーロッパ旅の記録〜フィンランドからエストニアへ
"2017年7月24日〜9月18日まで ヨーロッパ8カ国を旅した記録"
8月25日
有希ちゃんの薦めで、海を渡ったお隣の国、エストニアへ行くことにする。ヘルシンキからエストニアのタリンまで船が出ていて、だいたい2時間半くらいで着く。早朝の便に乗るため、早起きして港へ向かう。有希ちゃんも見送りに来てくれた。出港前にコーヒーを飲みながら有希ちゃんといろいろ話をした。彼女は18のときからフィンランドへたった一人で来て音楽を勉強し、今はプロとしてここで活動している。この国での彼女の表情は日本にいるときとは少し違うように見える。リラックスしていて、力強い。
バイキング船の中は、レストランやショップなど、アミューズメントが充実しているので、買い物や食事をしていれば2時間半はあっという間だ。ヘルシンキからこの船に乗り、ただ往復して帰ってくるフィンランド人も多いらしい。船の中で免税のお酒を買うためだ。フィンランドでは酒税がバカ高いから、船でダース買いをし、フィンランドへ持ち帰るという。
この旅7カ国目、エストニアの首都タリンに着く。天気が良くない。雨模様。タリンは、石畳の旧市街が美しい街だ。着いてすぐに、他のヨーロッパの街とは雰囲気が違うことに気づいた。建物や町全体の雰囲気は落ち着いていて、家の装飾や、街の標識、店構えなど、デザイン性が高くセンスが良い。すべてが愛らしくてその街並みに一目惚れした。
市街の観光案内所のようなところで、沙希子さんと待ち合わせをする。沙希子さんはこの夏からタリンの音楽院でカンネル(エストニアの伝統楽器)の勉強をしている。この小さな国で、少数民族の中の少数の人しか演奏していない楽器を学んでいる、ちょっと珍しい日本人だ。
沙希子さんはまだ越してきたばかりで、あまり観光のようなこともしていないと言っていた。ランチには少し早い時間だったが、タリンでも人気店というVanaema Juuresというレストランに連れて行ってもらう。「おばあちゃん」という意味で、エストニアの家庭料理のお店だそうだ。やはり店構えも店内のインテリアも可愛い。私は白味魚のフライとマッシュポテトのプレートを注文した。それにエストニアのワインと黒パン。なんてことのない、素朴な料理なのだが、これが抜群に美味しいのだ。事前にエストニアの料理は美味しいと聞いていたが、本当に美味しくて驚いた。ヨーロッパの食事は、はっきり言ってものすごく美味しいと思うものはあまりない。しかしここは所謂ヨーロッパ料理ではない。ここの黒パンがまた格別だった。フィンランドにも黒パンはあるが、エストニアの、この店の黒パンは忘れられない。この食事を味わい、ますますこの国の魅力にひかれた。
沙希子さんと街をぶらぶらし、眺めのいい丘の上や教会、小さな美術館、雑貨屋などをめぐった。雑貨屋で、エストニアの作家のものだというカップが気に入り購入した。それから街で唯一の楽譜屋にも立ち寄り、物色した。中古の楽譜を安く売っていた。エストニアは長くロシアの植民地だったこともあり、ロシア版の楽譜が多く見られた。30代以上の人はロシア語を話せる人が多いらしく、店のお姉さんがロシア語のわかる人だったので「なんて書いてあるの?」と質問したりした。面白いのでロシア語のクラシックの楽譜をいくつかと、エストニアの作曲家の楽譜を購入した。
沙希子さんの通うアカデミーに連れて行ってもらう。沙希子さんはフィンランドでカンテレ(フィンランドの伝統楽器)をすでに学んでいて、エストニアではカンネルを勉強している。二つの楽器は似ているが、木枠の形や、弦の数、弦の張り方、もちろん音色は全く違う。二つの楽器を並べて演奏を聴かせてくれた。特にカンネルは音がものすごく小さくて繊細で美しかった。奏法はカンテレよりも難しそうだ。私も少し触らせてもらった。このような繊細な楽器が生まれたのは、この国の人の素朴さや知性の現れだと思うと何だか愛おしい。街を歩いていてもそんなふうに思う。
夕食は市街を少し下ったところにあるカジュアルなレストランで、ビールとパイ包みを注文した。一応伝統料理らしいが、昼間のお店には到底かなわない。ここでも黒パンを食べた。
あまり遅くならないうちにホテルに戻る。0時近くになるとこの街も少し危ないらしい。沙希子さんは一日中付き合ってくれ、ホテルまで送ってくれた。明日また会う約束をした。
ホテルの部屋に着くと突然Susanneからメッセージが届く。シエナで一緒に過ごした夜のことを書いてくれていた。私も、あの夜のことはよく思い出す。人と良い時間を過ごすことの喜びを、ヨーロッパに来てたくさん経験した。忘れていた感覚が呼び戻された感じだ。
スイスで多くの時間を共にした友人の声が聞きたくなり、電話してみた。今エストニアにいると言ったら驚いていた。Susanneのメッセージのことも話したら喜んでくれた。この旅で一人にならず、いつも見守ってくれている友人がいることはありがたく幸せだ。
8月26日
待ちに待ったホテルでの朝食。ヨーロッパの食事は美味しくないと書いたが、ホテルの朝食だけは別だ。この旅でホテルの朝食の楽しみを知った。基本的にパン、チーズ、ハム、フルーツ、野菜などを好きなように皿に盛るだけだが、パンとチーズはどこでも美味しいし、他の宿泊客を観察しながらゆっくり過ごすのが楽しい。それに昨日の外食のクオリティから想像して、きっとここの朝食は美味しいだろうと楽しみにしていたが、やはり素晴らしかった。エストニアに来てすっかりファンになってしまった黒パンを、ちょっと失敬。
今日は沙希子さんとKUMU美術館に行く。KUMUはタリンで一番大きな美術館だ。市街地からトラムに乗って行く。ヨーロッパのそれぞれの街に一つはある大きな美術館は、たいがいフロアごとに古典、近代、現代と分かれていて、全て観るには時間と体力を要する。KUMUも常設展といくつかの企画展があった。常設展ではエストニアの代表的な古典画家の作品が観られた。昨日沙希子さんにカンネルで演奏してもらったエストニアの作曲家と通ずる雰囲気がある。街並みにも感じるこの国独特の、あたたかさと悲哀感の混ざった色合いだ。それは、この国の古来から大切にされてきた伝統と、他国に何度も支配された経験の、複雑で皮肉な混合色なのかもしれない。コンテンポラリーアートもとても面白く、全て観たかったがとても時間が足りなかった。
夕方の船でヘルシンキへ戻る。沙希子さんには二日間も付き合ってもらい、本当によくしてもらった。まっすぐで素敵な女性だ。また必ず会うことを約束する。
旅はいつの間にか一ヶ月が経過していた。