12,600キロ離れた父を思い、本を読む
床に突っ伏して、本を読んでいる。
小さかったころ、父が「本をたくさん読むといいよ」と言って、2週間に一度図書館へ連れていってくれた。
自分で選んだ本と父が薦めてくれた本、たしか借りられたのは10冊まで。毎回2人合わせて、借りられるだけたくさんの本を借りて帰った。
父が薦めてくれた本は、たしかキュリー夫人だとか野口英世の伝記だったと思う。
図書館から帰ると、リビングのカーペットに突っ伏して、借りてきた本をはりきってたのしみに読んだ。
今、あのときと同じように、床に突っ伏して本を読んでいる。
子どものころに父が薦めてくれた本を読んでいたのと同じように、父が薦めてくれた本を読んでいる。
あのときとちがうのは、昔のように元気だった父ではなくなってしまったこと。
そして、ずいぶん長い間、本を読んでいなかったということ。
私が海外(アフリカ)で10年近く生活している間に、なかなか会えない父は72歳になった。定年して、それでも働いていたけれど、数年前に仕事をやめてからは、ほとんど家にこもっていた。
父は昔から本が好きだった。片道2時間の通勤中によく本を読んでいたことは知っていた。本の表紙カバーをひっくり返して、白い裏面を表にした本をいつも読んでいた。
「北杜夫の本がすき」
そういって、私の名前が彼の本の登場人物からインスピレーションを受けたことを話してくれた。
ずっと私の頭のはしっこにあった北杜夫の本。
一時帰国するたびに元気がなくなっていく父を見て、まだ気が早いと言われるかもしれないけれど、いつか訪れるであろう父との別れに思いをめぐらせてしまう自分がいた。
大好きだった父がいなくなってしまったら、私は乗り越えられるだろうか。
きっとむりだ。
そんなときに、
そう思いはじめた。
いや、本当のことを言うと、
「もし父がいなくなってしまってさみしくなった時には、父が愛していた本を読んだらさみしくなくなるかも」
そんなことを考えていた。
それで、前回の一時帰国で父が持っている本の中からお薦めの本を数冊ゆずってもらったのだ。
父の気に入っていた本を手にして満足していたけれど、日に日に衰えていく父を見て
「父はこの本を読み、何を感じたのだろう」
「この本のどこが好きだったのだろう」
「父が好きだった本を読んで、お互いの感想を交換したい」
「他にどんな本を読んでいたのか、もっと知りたい」
そんな風に思うようになった。
日本から12,600キロ離れたアフリカ・コンゴ民主共和国——
私は今、あのときのように床に突っ伏して、父が薦めてくれた本をはりきってたのしみに読んでいる。
あのころのように元気な父ではないけれど、本を読むのはずいぶんひさしぶりになってしまったけれど、父と図書館で抱えきれないほどの本を借りてきたあのころと同じように、床に突っ伏して本を読んでいる。
読み終えたら、感想を伝えよう。
感想を伝えて「あそこがおもしろかったよね、ここもよかったよね」といっしょに話そう。
そして、小さいときから大人になった今でも、父のことがずっと大好きなことも伝えよう。