♯15.命は奇跡の連続
7月になると行くところがある。これは、大抵1人でふらりと。
妊娠すれば、当たり前のように生まれてくるだろうと思っていた3人目。
安定期に、溶連菌に感染していてダメだったのだ。
医師に言わせると、『お母さんを守って知らせてくれたのかもね。このまま放置していたら、本当にお母さんの命も危なかったんですよ。』と。
何が辛いかって、私の中では旦那さんから
「3人目は下そう」と言われたことだった。
話し合って産む選択になったけれど、その言葉は今でも心に残って忘れられないでいる。
喜んでくれる姿を想像していた。
まさかの言葉に苦しんだ。
それでも、私の中ではその選択はしたくなかった。
3人目も当たり前に生まれると思っていたし、仕事を妊娠を理由に穴をあけたら迷惑がかかると思って頑張りすぎてしまっていた。
妊娠5ヶ月目だった。
安定期と言われる時期に陣痛が起こってしまったのだ。
『お母さん。もしこのまま産まれちゃったら、赤ちゃんが小さ過ぎて、僕たちには守ってあげれない。そのまま時間と共に死にます。』
なんて残酷なんだ。
『今の医療でなんとか保育器とかに入れて、命を守ってくれませんか?』
陣痛抑制剤の点滴を3回打たれて、それはそれは激痛だった。
2人の出産なんかに比べて、遥かに激痛だった。
3人目だから、近所で有名な助産院で家族に見守られながら、自分のスタイルで産もうと憧れを抱いて楽しみに思っていたのに。こんなはずじゃないんですけど。
もう私の身体の中で、下りて来てしまった感覚も、ビクッとなって命が終わった感覚も覚えている。
泣いた。
恥ずかし目も無く、大声で泣いた。病院側の計らいで個室にしてくれて良かった。
私を献身的に、優しい声を掛け続けてくれた看護師さん。
両手いっぱいに点滴を刺されて、もう刺せる血管がなくても、時間を掛けて探し続けてくれた担当医。
心配して駆けつけてくれた家族や友人。
たくさんの人に支えられていた。
食事が喉を通らず、とにかく毎日、亡くなった我が子を見送る時に寂しくないように折り紙を折り続けていた。
我が子たちは、亡くなった3人目の弟を見たいと言ってくれてすごく迷ったけれど、会ってもらうことにした。
『なんだ。つむちゃん、かわいいじゃん。』
そんなことを、当時9歳だった長男は言ってくれたこと忘れられない。
もうかれこれ、11年前の話。7月は特に思い出して、感じて、涙を流している。
生きていると、辛いこともあるし、うまくいかないとか、自信ないとか、ネガティブな感情になることってあるけれど、生まれてきたこと自体が奇跡だと思ったら、今この瞬間にも感謝できる気がする。
命を持って、知らせてくれた我が子に『ありがとう』と心で声を掛けて。
当たり前の毎日に感謝するって本当に大切なことだ。
最後まで読んでくださった方にも、感謝を込めて。
ありがとうございます。
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