たったひとつだけを君はもっている
朝が来て、まだ寝ていたいけど昨日の夜の理不尽はどこかに行ってしまった、寝れば元気になるなんて単純でいい。
「猫は、うれしかったことしか覚えていない」という石黒由紀子さんの文章に、ミロコマチコさんが絵を描いたエッセイを思い出した。私も理不尽だなとか苦しかったことは、事象として認識はしているものの、鮮明には覚えていないほうかもしれない。先週愚痴っていた出来事は、言われるまで忘れていた。猛スピードで過ぎていく日々のなかで、悔しかったことだけはどれだけ経ってもいつまでもざらざらした感触のまま、胸の中に残っているけれど。猫になりたい。
猫は、過ぎたことを引きずることなく、うれしかったことだけを積み上げて生きていくのです
うれしかったことも、取り出して眺める時間があったり、何かをきっかけに記憶の欠片として引っ張り出してこなければ、案外思い出さないかもしれない。身体の中に積み上がったうれしかったこと、幸せだと思った瞬間はあっけなく毎日に忙殺されていく。
だから、誰かの文章で、匂いで、音楽で、景色で、ふと思い起こされる瞬間は貴重だ。忘れたくなくても、全部は覚えていられなくて、曖昧になってしまうから、私は忘れたくないことを書き留めているのかもしれない。
特別じゃないことのほうが、覚えていたくても消えてしまう。恥ずかしかったことも、笑ったことも、どうでもいいけどなんだかいいなって感じたことも、全部手元に置いておきたいなんて欲張りだし出来ない。
立ち返る場所だけ、つくっていればいい。それがあれば、手に取るようにそのときの感触が蘇るから不思議だ。
久しぶりに過去に書いていたブログを見つけて読んでみたら、ぐだぐだと悩んでいた気持ちとか、朝帰りの電車の空気とか、駅とか街並みとか、そういうのまで全部が脳内再生されて、形容できない気持ちになった。それを書いた自分と今の私は地続きではあるけれど、確実に違う人間だなと思う部分もあって、似ている部分もあって、変な感じ。誰にも見せないけど、自分のために書く文章があってもいいな、ってことを最近考えている。
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