ずっと繋がっていなくたっていい
いつでも、どこにいても、小さなiPhoneの画面で繋がっていられることはプラスでもあるけど、その反面なくなっていった時間や価値もあると思う。
SNSで間接的に友人がどう生きているかを知る、みた景色を見られる、会った時には自然と昨日会ったばかりのような顔で前提条件を大きく合わせることなく話が進む。
Twitterをあまりやっていない友人と半年ぶりに会うと、まず空白時間から話すことになって、この半年何をしてたとか、新しく習い事を始めたよとか、そういう話を新鮮な気持ちで聴けるのは嬉しかった。
一方で、好きを発信することで、私も好きだよと集まってくる人と共通の話題が増えるのも楽しい。
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LINEとかのテキストコミュニケーションも上手くいくな、と思う人と、テキストではうまく乗らないときもあるから電話が心地いいな(もしくは無理にLINEはしなくてもいいや)って人、2パターンある。どちらも会うと楽しく話せるし大切な人たちなので、どっちがどう、というわけでもないんだけれど、そこを見誤って無理にずっとLINEを続けたいとか、そのラリーの量で相手との関係を埋めようとすると、本来築けたはずの関係がうまくいかないこともある。
オンラインのやりとりで全部を知ってしまわないで、会った時に話したいねって言い合える関係も未来がちゃんとあって豊かだなとも思う。そんなことを考えていたら、前にサクちゃんが言っていた言葉が浮かんだ。
人と人とのやりとりはすべて交換だと思っていて、わたしは言葉の交換がすきなんだけど、会って顔を見て話したりハグをすることで交換できる情報量にはとてもかなわないなと改めて思う。言葉の力を信じているけど依存しないようにしないとな。
言葉も大事、そして会って、顔を見て話したり、肌にふれたりできることも大事にしたい。
どんなやりとりが、その人とわたしにとって心地いいかな、って探れるようになってきて、それは大人になったって思えたこと。私はこうしたいんだから合わせてよ!って無理させても、長続きしないよね。すぐには分からないけど、その人を知る過程でそこもすり合わせできたら嬉しい。
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