基本が面白いと思ったとき、上手くなる
合気道の稽古にもだいぶ慣れた頃、突きや蹴りの捌きばかりやっていた頃があります。茶帯の頃だったでしょうか。
短刀(ナイフ程度の長さの刀)を持っては見よう見まねで部員と稽古していました。
だって基本技の繰り返しはつまらない。
転換(体の変更)、呼吸法、四方投げ、一教、入り身投げ……。
誰もが思うのではないでしょうか。師範はその様子を見て
「おー やってみ、やってみ」
そう言ってくれました。
「わしらもそうやったよ。こんな手首なんか握ってくるやつおらんやろ、突き蹴りよな。……そそそれもあってええんよな」
その日の稽古終わり、こう話してくれました。
「そうよの、自分がやりたいと思たことをやってみたらええ。いろいろやってみて、できんなる。できん思たら基本に戻ってみたらいい。いろいろやってみて、基本が面白い思た時が上手くなる」
また、後日の稽古後に部室で着替える際、先輩と一緒に聞いた話。
「あああ合気道には段階があっての、先々行くとまた戻ってこんといけんなる。それでつまらん、辞めたいて思う人もおるし、四方投げばっかり繰り返し稽古する人もおるやろ。技覚えるんが遅てもええ、要領の悪い人が上手くなるのが合気道よの」
着替えの途中なのに、合気道のこととなると前のめりでお話ししてくれました。
でも、その話は当時全く頭に入ってきませんでした。
「ありがとうございました、失礼します」
……
「先輩、師範ズボンのチャック空いたままでしたよね?」
「うん、空いてた」
合気道の話となると、とっても前のめり。そして、どっか抜けてるところもあるんですよね。館長が愛される理由ってそこなのかもしれません。