【親ガチャ】と【挨拶】その他…について思うこと、感じることを徒然なるままに✍️
一昨日、部活動ボランティアで参加している、市内ソフトテニス部の1・2年生大会(非公式)が市民体育館で開催されたので、終了まで観戦させていただき、その簡易的な報告・感想をFacebookにアップしました。
テニスの勝ち負けではなく、その他、思うところ、感じるところが強くあったので、率直な想いを投稿の後段に記しました。
投稿に対して、いただいたコメントの流れで、私は「挨拶ができない子も論外だ」と記したところ、続いて関連するコメントもいただきました。
そこで、気になっていた【親ガチャ】について、あらためてFacebookに思う所、感じているところを、昨日投稿しました👇
備忘録として、テキスト部分を抜き出し、以下に転記します(一部編集)。
【親ガチャ】という現代用語(ネットスラングから、日常的に使われるようになった“言葉”)は、中身の意味も含めて、正直あまり好きではありませんが、現実的な問題として「あるだろう」と感じます。
挨拶に限って言えば、日頃から家庭において「挨拶の大切さを教え、躾け、保護者自らが実践実行」しない限り、子供が実践することは考え難いことです。
規則正しい生活を送るか、はたまたゲーム依存になるか、会話力はどうか?、食生活は?生活習慣は?は、家庭に依る要素です。
昔から同様の要素(環境や実態)はあり、まさに現代用語で表現される【親ガチャ】と言われる領域であり、世界観なのかも知れません。
ただ、子供は環境に感化され育つこともあると思います。
なので、(それを)補完するのが「学校(義務教育課程)であり、教育課程外ながら部活動などの諸活動、そして、地域力だ」と、私は考えます。
でも。
最後にものを言うのは、その子供自身の生きる力であり、意志や意識であり、感じる心。
だと私は考えます。
「甘いよ甘い。非常に厳しい現実が見えてないし、見てないな…」
と、様々な形で支援に当たられている方からはご批判もいただくかも知れません。また、それすらも…という環境に置かれている子供も少なくないかも知れません。
だからこそ、何とかできないだろうか、
いや、何とかしたい。
いまの自分にできることは何だろう…。
そう思い試行錯誤している、今日この頃です。
以下の投稿も、関連する内容です。
ここで紹介した『ルポ 誰が国語力を殺すのか』では、子供たちの国語力(言語能力)に連関する様々な問題と直面している現実、待ち受けるもの…など、ルポルタージュ形式で、深くて厳しい現実の数々が赤裸々に記されています。もちろん親の問題も…。
目を背けたい、耳を塞ぎたくなる現実の数々がありました。
でも、それだけで終わることはなく、合わせて「ではどうすれば良いのか?」にも、答えやヒントを示してくれています。
あらためて、興味関心がある方に、問題意識がある方に、当事者で悩んでいらっしゃる方に全力で推薦します。
徒然なる夜明け前の書き込みに、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました (^ー^)
最後までご覧いただき誠にありがとうございます。 引き続き、ご愛顧いただければ幸いです。