【お仕事論】デキる人ほど不機嫌にならないですよね→怒りを表現するのを恐れてるだけ。不機嫌を表現する勇気を持て。
「仕事ができる人ほど不機嫌にならないですよね」
「む」
「いい人ほどよく話を聞いてくれるし、なんだかわかってくれている気がします」
「は」
「そういう人は、ちゃんと自分のことを評価してくれてるって思えるし、大切にしてもらえてるなと感じるんです」
「ふん」
「でも、反対に、いつもイライラしてて怖い上司といると、ストレスでお腹痛くなっちゃうんです。。こういう時って、どうするといいでしょうかね?その上司のいいところを見つけてあげればいいでしょうか??」
「ハッキリ言えばいいだろう」
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ。そんなことしたら逆に怒られちゃいますよ。。相手を傷つけないようにするのがシビリティなんです」
「??」
「シビリティってご存知ないですか??礼節っていう意味の言葉で、ここ数年よく使われるようになった英語なんです」
「はん」
「特にトランプ大統領が就任してからよく使われるようで、それはメキシコ移民に対しての言葉遣いが汚いことが取り沙汰されてからなんだそうです」
「ふん」
「礼節ある快適な職場を作ることが、従業員にとっても会社にとっても、社会全体にとっても重要なことなんです」
「完全に勘違いしているようだな」
「えっっ、、、イヤイヤ、相川先生、それが頭ごなしの否定ですよ!!それがシビリティの欠如なんです!」
「黙れ。殺すぞ」
「( ゚д゚)」
「浅はかなんだよ。うわべの言葉に騙されるな」
「・・・・」
「そもそも考えてもみたまえ。シビリティ、ってそりゃ語源はラテン語だろう?cibilityだよな。 つまり市民だ。そもそも英語を産んだイギリスに市民という概念が入ってきたルーツは古代ローマ時代である。ラテン語の civiritas チヴィリタスのこと。それから外来の民族が移動してきた結果、市民なんて存在は消滅したのだよ。ラテン語の意味するところのシビリティが復活してくるのは、18世紀のフランス革命の頃ってところだろう。名誉革命やピューリタン革命なんて言っても、それは貴族階級と富農の働きであって、一般市民は依然として農奴みたいなもんさ」
「はい・・・」
「古代ローマ時代の皇帝や貴族階級が、特に五賢帝時代に意識していたのが、今ここで話題に出ているシビリティだよ。国境の外の蛮族と謁見したり、良好な外交関係を築けるように、相手のラテン語の間違いを指摘したり、文化風俗の違いをからかったりしない、いわゆるオトナな対応というものだ」
「はい・・・」
「その中でも特に、マルクスアウレリウス皇帝の『自省録』を読むと、現代アメリカ人・オーストラリア・イギリス人の考えるシビリティがよくわかる。でもね、古代ローマの皇帝も、現代アメリカ人の大統領にしても、国のトップであるから軍事上の全責任を負っている。つまり、オトナな対応は、こちらの利益に反しない限り、という但し書きがついているわけだ。容赦無く軍隊を派遣するわけだからね、利益に反する場合」
「はあ・・・」
「西洋人の言うところの市民という概念が生まれたのは古代ギリシャなわけで、彼らだって現代アメリカ人と一緒よ」
「なんだかわかんなくなってきました・・・」
「何が言いたいかというと、本当の意味でのシビリティとは、あなたがいうようなただの『ことなかれ』ではないということよ。 例えば、シビリティのお手本と言われる一人、ジョンFケネディさんはこう言ってる。『シビリティをみせることは弱みを見せることではなく、誠実さの証明であることを忘れてはならない。だが、交渉を恐れてもならない (So let us begin anew--remembering on both sides that civility is not a sign of weakness, and sincerity is always subject to proof. Let us never negotiate out of fear. But let us never fear to negotiate.)』と」
「??」
「まあ、日本以外では、コミュニケーションの基本は、相手を理解することよりも、自分の主張をすることだからね。そういう前提があることを忘れてはいけないよ。つまり、日本の環境が特殊であるということになるからね」
「そうですか??」
「そう。日本以外では、『言ったこと』が『ある』こと。『言ってない』ことは『ない』こと。そういう中からシビリティという言葉がここ数年出てきているのです」
「外国の企業なんかだとそうなんでしょうか??ウチの仕事はほとんど全部国内なんで、そういう違いは知りませんでした・・・」
「だろうと思う。 多くのヘンテコな英語が、ヘンテコな解釈をされて飛び交っている。馬鹿馬鹿しいことだ」
「そうですね。。そう言われるとそうかもしれません」
「マホトマガンディーさんが、シビリティの真の意味を語ってくれている。素敵だから紹介しよう」
「へぇー」
「Civility does not here mean the mere outward gentleness of speech cultivated for the occasion, but an inborn gentleness and desire to do the opponent good.」
「・・・・日本語で頼みます(T-T)」
「シビリティとは、その場合場合によって生まれる単なる表面的な優しさではない。生まれながらに持ち合わせた優しさと、相手にとって良いことをしたいという気持ちを意味するのです」
「あぁーなんかいい言葉ですね!!」
「イギリス相手に非暴力で戦っていたガンディーさんらしい言葉だね。 英国人が自分たちを叩きのめそうとしてくる、自分たちを差別してアニマル扱いしてくる。そんな白人たちでさえ、ガンディーさんは『相手に対してよいこと』を意識していたのだろう。それが愛だと思うのです」
「愛ですか」
「そう。ここ10年、ニッポンでは社内でのチクリとか、パワハラだのモラハラだのヘンテコな言葉が飛び交っている。だから、誰もが相手に対して率直な言葉を言うのを恐れている。そのせいで言葉の力が失われている。言葉を選ぶあまり、本来伝えたかったエネルギーがすっからかんになってしまって、かえって伝わらないのだ」
「そうですね、、SNSに陰口かかれたりもありますし、そういうの見ると傷つきます」
「シビリティという言葉を使うなら、相手のために、率直に伝えてみなさいな」
「・・・・・・考えます!」
「結局逃げるんかい。ザコめ」
「グフ・・・」
「ザク」
「・・・・・・ガンダムですか???」
「あなたならできるわ」
世界中を回って、様々な方とお話ししているとある傾向を感じるのです。
それは、ある程度の高い教育を受けていて安定的な高収入を受けている人ほど、こういうシビリティを発揮しているということです。
表面的に見ると、知的水準が低い人に対しての理解を示しており、いかにも文明人のようなのですが、、、
裏を返せば自分自身の感性やホンネに背を背けているように見えるのです。
あたかも仏教でいうところの『中道』であるかのように。
ここで解説しているようなケースを見ていると、それはただのことなかれ主義。
体裁を整えているだけで、本質的な問題が解決することはない。
なぜなら動機が『保身』だから。
しかし、実際の企業の中でも、社会の中でも、本当に大切なことを身を顧みず発言して行動する人は尊敬されるのです。
例えば元セブンホールディングスの経営者である鈴木さん。
日本にまだコンビニがなかった頃、創業者でオーナーの伊藤さんから反対されているにもかかわらずそれを押し切ってセブンイレブンをスタート。
今では日本にコンビニがないなんて考えれらない世の中に。
セブン銀行を始める時も、銀行家たちから『素人が銀行なんてやれるはずないやめておきなさい』と反対されているのに事業をスタート。
今ではコンビニにATMないなんて不便で仕方がないですね。
例えば、ファミリーマートの社長で、ユニクロでおなじみのファーストリテイリング社の元副社長でもある澤田さんという方。
『平社員はますます何をしても無駄だと思うかもしれないが、そうではない。心底会社を愛しているならば、改善策を携えて社長室に直訴に行けばいいし、そこまでの愛情がないなら、見切りをつけて転職先を探せばいい。それも嫌なら、居酒屋で同僚と愚痴をこぼせばいい。』 とおっしゃっている。
愛しているなら本音で直訴。
経営者としても、身を投げ打ってまで会社のことを想ってくれる社員は絶対に大切なのです。
「待ってください、、、そこまで会社に義理はありません。。ただなんとなくいられて、なんとなく給料がもらえて、安定していればそれでいいんです」
という方がきっと世の中の大半なのでしょう。
口でどれだけ理屈を言おうと、行動が伴わなければそれは嘘になるのです。
仏教でいうところの『身口意』シンクイです。
想っていること、発言、そして行動。
この三つの間の差をとることが悟りなのです。
平社員だって学生だって主婦だって、経営者だろうとコンサルタントだろうとみんな同じ条件。
悟りを目指さなくたっていいから、『差取り』を目指すことです。
できることからでいい!
人は想うようにできている。
現実は、自分が想うようにできているのだから。
自由に好きなように想うことですよ。
私はそうやって生きてきて十分にやってこれてますし、私の周りもそういう方ばかりです。
だから『あなたにもできる』と想っています。
こんな感じ↓