さてさて、年も明けてそろそろ二週間。 すっかりといつもの暮らしに戻ってきているところです。 今年は能登の大きな地震や羽田空港での事故もあり、波乱の幕開けの一年となっておりますが、僕自身は幸いなことに普通の日常を暮らしており、ありがたいことだと噛み締めているところです。 (被災されている方の1日も早い日常生活をお祈りしたいと思います) 今年こそはとの思いを胸にジムに通っておりますが、相変わらずのお風呂会員。いまだにまだシューズを履いてもおりません。 お風呂会員としての面目躍如
やってしまいました。。。 去年と一昨年はうまく行ったので、今年も大丈夫だろうとたかを括っておりましたが、 やってしまいました。。。 そうです。来年分の手帳、一度は来年も今年と同じで「ジブン手帳」で行こうと決めて早々に購入していたというのに、その後、ほぼ日のオリジナルも購入。そして…。 なんとなくしまっておいたトラベラーズノートを取り出してしまったのが行けないのか、 それとも、YouTubeをぐるぐると徘徊しているうちにトラベラーズノート関連の動画を見てしまったのがいけ
やってしまいました。 ここ2年ほど、耐えていたというのに。。。 やってしまいました。 そう、来年の手帳ですが、 Youtubeをダラダラと見ていた結果、2冊目を買ってしまいました。。。 いけない。 これはいけない。。。 多冊使いを何年か前にチャレンジし、挫折したというのに。。。 ここ2年ほど調子よく使っていたジブン手帳。一冊に全てを集約し、それでも使いきれない部分もたくさんあったというのに、先日購入した来年分のジブン手帳に加え、ほぼ日オリジナルを買ってしまいました。
最近では、文字で本を読まなくなった。 じゃあ、何で読んでいるのかといえば、Audibleだ。 Amazonのオーディオブックで、本を読み上げてくれた音声を「聴く読書」である。 これ、一度試したらもう手放せないんだよね…。 何しろ、通勤時間中に音楽を聴く代わりにこれを聴く。 本を開いて目で文字を読むことに比べるとはるかに簡単だし、気楽。 文字を追いかけているとどうしても眠くなってきたりしちゃうけど、聴く読書だとあんまりそんなことがない。(僕だけかもしれないけど) Audib
なんだかんだ言っても、結局毎晩Youtubeをあほのように見ている。 まさにあほだ。 なにか役に立つような動画を見るときもあるが、一方で暇つぶしにもならないような動画に時間をつぶしていることもある。(いや、これはやはり暇つぶしにはなっているということか…) ずいぶん多くのチャンネルを登録しているし、お勧めに出てくるものを片っ端から見ているときもある。 要するに、一度youtubeを見始めると、延々と見続けているような状態に陥るのだ。 ジャンルは様々だ。 二年ほど前は、筋ト
この季節になると、心がざわざわとし始める。 そう、手帳の季節だ。 手帳マニアの間では、すでに8月くらいから来年の手帳の検討が始まる。早いものだと9月早々には発売になり、人気のある手帳はすでにソールドアウト。出遅れは許されない戦いもあるようだ。 手帳に凝り始めたのは、もう十数年前くらいになるだろうか。「凝る」といっても僕の手帳マニアぶりなど本物の(?)手帳マニアからすれば子供の遊び程度。恐れ多くて手帳に凝っていますなどといえないようなディープな世界がそこにはあるのだ。 「7
急激に気温が下がり、一気に秋から冬へと駆け抜けていってしまいそうな日々。 こんな時期にはゆっくりとお風呂に入り、体を温めたいところです。 僕は一応スポーツジムに通っており、ほぼ毎日のようにジムに顔を出しておりますが、実態は完全にお風呂会員。要するにジムに行っても運動はせずにお風呂だけ入るというスタイルに落ち着いている。 自分の部屋ではシャワーばかりで簡単に済ませ、湯船につかるのはスポーツジムでという風に割り切っており、ジムでのお風呂は僕の暮らしの中ですでに「日常」と化してい
子供のころはテレビが好きだった。 僕の家ではほぼいつもテレビがついていたし、四六時中何かの番組を見ていた気がする。 ところが今は、地デジもBSもほとんど見ない。テレビの電源は入っているが、画面に映っているのはテレビ番組ではなく、YouTubeやアマゾンプライム、などなどである。 多分みんなそうだよね? すごいよね、これ。 ネットの中にあふれかえる膨大なコンテンツは、一生かかっても全部見ることなんてできないし、次から次へと、どんどんその量が増えていく。 そして僕はその動画の
映画や小説には、悪い奴が出てくる。 普通の人なのに実は悪い奴だったり、根っからの悪人だったり、その度合いは様々だ。 日常生活の中で、僕は後者(根っからの悪人)にあったことはない。会ったことがあるのに、その覚えがないというのではなく、多分本当に会ったことがない。 それなりに長いこと生きてきたが、会ったことがないのだから多分そういう人は存在しないのだろうと思う。 ちょっと考えてみると、子供のころに見ていたテレビの中には根っからの悪人は結構登場していた。時代劇の悪代官とか、ヒーロー
思いつくままに文字を連ねる。 特にルールなどないし、当然脈絡もない。 大体僕の頭の中に、そもそも脈絡がないのだから仕方がないのだと思う。 どこに向かっているのかよくわかっていないし、そもそもどこにいるのかすらわかっていない。 そんなものに、脈絡を求めることなど無理な話だ。 現実も虚構もいりまじり、過去も未来もないまぜになる。 そんな場所があってもよいだろうと思う。