恋と下着とソーシャルディスタンス。
ゆるんだラインがばれてしまった春
今年の4月、緊急事態宣言が出されたころのこと。
私が勤めている小さな会社でも、テレワークが導入されることになった。つまり、状況が落ち着くまでは原則としてノー出社。往復2時間の通勤にうんざりしていた私が、心の中でガッツポーズしたことはいうまでもない。
ふたをあけてみれば、毎朝シャンプーして髪をかわかし、それなりに化粧し、それなりの服に着替えて満員電車に乗るくりかえしに、どれだけのエネルギーを奪われていたかが、よくわかった。
だから、会社に行かなくてもいい日々は、天国だった。 テレワークよ永遠に続け、と思った。すりきれた糸がぷつんと切れたみたいに、私はおしゃれをしなくなった。
ある日、仕事をしながら、後輩のアコちゃんとラインで雑談していたときだった。
「朝から、やる気ゼロ。寝落ちしそう」
私がそう送ると、思いがけない返事がかえってきた。
「とりあえずブラをつけると、仕事モードになりますよ♪」
なんと、最近の私がノーブラだってことを、アコちゃんはお見通しだったのだ。
共感してほしかっただけなのになあ…後輩に説教されるなんて、情けなさすぎる。
しょんぼりしながらも、アコちゃんはすごいなと思った。ためしにお気に入りのブラをつけてみたら、それだけで、ゆるんだココロとバストラインが、ピシっと引きしまるような気がしたからだ。
〜〜〜〜〜
アコちゃんは、テレワークが始まってすぐ、彼氏と一緒に暮らし始めたらしい。コロナ渦で同棲するカップルが増えたと聞くけれど、まさにその先駆けだ。
私も、ショウと暮らしたら、何かが変わるかな…雑然とした部屋でひとり、最近ここに来なくなった恋人のことを考える。彼が弟と暮らしている家にも、もうずいぶん行っていない。
居酒屋の店長をしているショウとは、1年くらい前に知り合った。コロナ騒ぎの前に出会えたのはラッキーだけど、居酒屋はお客さんが減って大変そうだし、リスクのある接客の仕事は何よりも心配だ。
テレワークになった私とは温度差もあって、ショウはずっとピリピリしている。
コロナ渦で会う回数が減ったカップルも多いと聞くけれど、私たちは完全にそっちのほう。今はがまんして少し距離をおこうねというのが共通認識だ。休みを合わせて遠出することも、ショウのお店に飲みに行くこともなくなった。夏が近づいても、デートといえば、近場のカフェでまったりするくらいなのだ。
だけどその日、カフェからの散歩道、口数の少なかったショウが、突然目を輝かせてこう言ったんだ。ランジェリーショップの前を通ったときだった。
「ああいうの、いいね!」
彼の視線の先には、白いレースのキャミソールを着たマネキンがいた。繊細な花のししゅうに、透明感のあるプリーツ…白いブラとショーツがうっすらと透けて見える。
「う、うん。すごくキレイだね…」
とっさに同意したものの、私は軽く衝撃を受けていた。Tシャツ&すり切れたデニムの自分とは、かけ離れた世界に思えたからだ。アコちゃんに言われてから、ブラには少し気をつかうようになったけど、そのキャミソールは、まぶしすぎた。
早い話、おしゃれを忘れている私へのあてつけみたいで、イラっとしたんだよね。
ここちよい眠りをキープしたかった夏
その日は、うちに帰ってからも、まだモヤモヤしていた。実はあのキャミソールが最高に似合いそうな人物を思い出してしまったのだ。ショウのお店にいるアルバイトの一人。淡いフラワープリントの甚兵衛を、ふわっと着こなしていたショートヘアの女の子だ。
彼女の感じのいい接客に感動し、ショウにそう伝えたら「おれが彼女を育てたんだ」と得意そうに言ったんだっけ。ああ、なんかムカツクなあ…。
だけど、白いレースのランジェリーにふさわしいのは、まわりの人を幸せな気持ちにさせる、ああいうタイプの女性であることは間違いない。悔しいけど、ショウもそう思っているだろう。
私はふと、自分が着ているパジャマに目をやった。いつもこればかり着てるから、くたびれてきたなあ…
「あたらしいパジャマ買う!」
衝動的にアコちゃんにラインしたら、間があってから返信がきた。
「このブラもオススメですよ♪ 色違いを愛用ちゅう」
シックなグレーのナイトブラの写真が貼ってあった。なんと、寝るときの私がノーブラだってことも、アコちゃんはお見通しだったのだ。
女としてのかわいげには欠けるけど、後輩のアドバイスには素直に耳を傾けることにした私である。さっそく購入を決め、ついでに、キャミソール事件のことも打ち明けてしまった。
「そのキャミ、センパイにも似合いそう。カレもそう思って言ったのでは?」
やさしいアコちゃんの言葉に、癒されてしまった単純な私…
何はともあれ、今の私に必要なのは、パジャマとナイトブラである。ショウは、仕事のことで手いっぱいみたいだし、今はどこにも行けそうにないけれど、ウェブストアでお買い物したら、かなり気分がよくなったのだった。
〜〜〜〜〜
夏の間、伸ばしっぱなしだった髪が、さすがに鬱陶しくなってきたので、美容室を予約した。ショウの弟のケイ君に髪を切ってもらうのは4か月ぶりだ。
ケイ君は、私の顔を見るなり「アニキの店、マジでやばそう」なんて言う。ショウとはしばらく会っていなかった。
「やばいって、つぶれそうってこと?」
「このままだとね。新しいチャレンジで乗り切るつもりらしいけど」
「そうなんだ…。私も、新しいチャレンジしようかな」
「いいですね。ばっさり行っちゃいましょう。アニキも、短いのは好きだと思うし」
ケイ君が急にプロの顔になり、私もその気になってくる。例の女の子がショートヘアだったことを思い出すが、「負けるものか」とナゾの対抗心に火がついた。
夜、ショウがラインをくれた。
「髪切ったんだって?」
驚かせようと思ったのに、あっけなく伝わってしまっていた。
「おれも、過去を断ち切ることにした」
「なにそれ?」
「仕事のこと。いろいろあったけど、先が見えてきた。元気なさそうだったから、あんまり言えなかったけど」
そうか、私、元気なかったのか…
「パーッとおいしいものでも食べに行こうよ。おれの未来を祝って」
思わず笑ってしまった。いやいや、それより私の誕生日がもうすぐなのに、覚えてないのかな…まあいいか。前向きなショウが戻ってきて、私はうれしくなった。
ほんとうの気持ちに近づいた秋のはじまり
デートっぽいデートは何か月ぶりだろう。フレンチレストランの個室を、ショウが予約してくれていた。ちゃんと誕生日を覚えていてくれたのだ。
しかし、プレゼントには、はっきりいってドギモをぬかれた。なにしろ、ネットで探しまくって、同じものを見つけたというんだから…
それは、忘れもしない、あの白いレースのキャミソールだった。
あれが今、私の手の中にある。ユリの花のような刺繍、半透明のプリーツ...スワロフスキーがキラキラと輝き、息をのむような美しさだ。
ショウはなんだか、モジモジしている。
「ブラジャーも買いたかったけど、サイズがわからなくて…」
「まじで? そんなの、教えるわけないでしょ!」
笑い飛ばしたら、ショウは、しんみりと言った。
「おれ、何も知らないんだなと思って。胸のサイズとか、指のサイズとか、足のサイズとか…」
ちょっと待って。今、胸と足の間に、さりげなくスゴイものを入れてきた…? 指のサイズって何よ。指の長さ? それとも指輪のサイズってこと…? いきなり結婚はムリだし、新しいチャレンジの話もまだ聞いてないよ…
アタマの中がぐるぐると混乱してしまい、落ち着くために立ち上がった。夢のような肌ざわりのキャミソールを、服の上からあててみる。
なんかこれ、ウエディングドレスみたい…不覚にも涙が出そうになる。
「めちゃめちゃ似合うよ。さすが、おれ、センスいいわ」
自分の手柄にして笑っているショウを見て、屈託のないこの笑顔を私は好きになったんだっけと思い出した。
私、これ着たい。こういうの、着てみたかった。
そして、こんなサプライズをくれたショウを、これからは、私が元気にしてあげなくちゃって思った。
この先、世の中がどうなるか、私たちがどうなるかは、まだわからない。だけど、この日、ふたりを笑顔にしてくれた純白の宝物との出会いに、私は心から感謝したんだ。
このnoteは、ワコールの「♯下着でプチハッピー」公募キャンペーンの参考作品として書かせていただいたフィクションです。
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