(2)第2章部分
第4回党大会と天皇制廃止の提起
『百年』は、当時の党が象徴天皇制を提起していたとの誤読を誘いかねない叙述である。一方『八十年』では「天皇制をなくして」と簡単明瞭、これでよい。
政府「新憲法草案」の天皇条項に反対する理由
憲法草案に反対した理由について『百年』は『八十年』をかなり修正している。
46年の野坂政治局員の反対討論を確認してみた。
主権在民と矛盾しているとは言わず、主権在民が一貫していない"と言っている。また、天皇制が廃止されないから反対とは言わず、天皇条項が反動の方向を復活させる足場になりうることを理由に反対している。
ただし、野坂政治局員は「子孫の将来のため」と言っており、「敗戦後」(『百年』)に限っているわけではない。
なので、「敗戦後」部分を除き、修正は間違ってはいないと思われる。
なお、『八十年』の記述が正しくなかったというわけではない。そもそも党のつくった憲法草案は天皇制廃止だったのだから。
「党史」刊行時点での天皇条項に関する見解
46年当時の党の態度の記述に続き、党史刊行時点での天皇条項に関する見解の記述が続く。
『八十年』の「徹底した国民主権の立場から、将来の天皇制廃止を展望しながら」が『百年』では削られている。
これは、『八十年』の刊行年が2003年1月で当時はまた61年綱領の時代だったからで、『百年』は、2004年綱領改定にともなって同文を削ったのだろう。
なお、『八十年』は、「将来の」と曖昧な表現にせず「民主主義革命政府の段階で」と書けばよかった。
また、『百年』も、当該文章につづけて「そして、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものとしました。」と書いておけばなおよかった。
戦後の在日朝鮮人党員
戦後の在日朝鮮人党員に係る記述がこれまでの党史であったのかざっと探したが見つからない。戦前の記述と同様、『日本共産党の百年』が初めてかもしれない。
「党籍を離れ」る前の、終戦直後からの在日朝鮮人党員の活動や、党籍離脱の理由の詳細については、別途『前衛』等での解説を期待したい。
以下、他文献からの引用(念のため言っておくが、これは当該文献執筆者の論述であって党の見解ではない)。
伊藤律とゾルゲ事件
『七十年』では「伊藤律の除名とその確認」にかかる記述は3ページに及んでいたが、『八十年』では総ページ大幅縮小のためか分からないが、まったく触れられることはなかった。
伊藤律にたいする数ある除名処分理由のうちゾルゲ事件に係る部分を『百年』でどう取り扱うかを編集委員会が検討しなかったはずはないだろう。『百年』では見送ったが、10年後か20年後かにまた再検討することになる。
つづく