『日本共産党の百年』読書ノート その4
51年綱領の廃止
第7回党大会は、極左冒険主義の誤った「現綱領(51年綱領)」にかえて、新しい綱領をつくろうとした。
所感派幹部に個人責任はあってもその責任を取らせないことで(これを許した国際派の責任も問わない)全党の統一を回復した。
だから党史では「廃止しました」と書くのだ。
大会で廃止の手続きを行ったからこそ、「徳田、野坂両氏らに責任を押し付け、党は被害者であるかのような記述」などの難癖に対して「ちゃんと大会の名で廃止したのだからちゃんと責任は果たしたのだ。」と言い返せるのだ。
敵の出方論
第7回党大会に係る部分で、用語「敵の出方」を04年綱領改定後不使用にしたことを一段使って記している(『百年』p21ss1-2)。
それなら、平和革命必然論が誤りである理由も記述したほうがよかろう。
『百年』が引用する第11回大会の「敵の出方」論は次のとおり。
これだとイメージしずらい。
そこで、平和革命がすでに保証されているかのような考えがいかに危険かを書いてくれている1967年の無署名論文を引用する。
無署名論文でもイメージしずらい人は、サイバー文工隊さんの次の動画がとてもわかりやすいのでおすすめなのだ。敵の出方論の元ネタを「モスクワ宣言」と言ってるのがいい。
それは暴力革命か? 日本共産党の「敵の出方論」【歴史解説動画】https://www.youtube.com/watch?v=KinlKcEgKXc
ニセの「左翼暴力集団」か、「ニセ左翼」の暴力集団か
『百年』では、「ニセ『左翼』集団」と呼称を変更したようだ。
従来は、極左日和見主義者、トロツキスト、トロツキスト暴力集団、ニセ「左翼」暴力集団、と呼んできた。
ニセ「左翼」暴力集団なる術語は常用しないがニセ「左翼」集団が暴力集団との認識は持ち続けているということである。それなら、従来どおりニセ「左翼」暴力集団と呼べばよいのに。
もしかして、
「左翼暴力集団というのがたくさんあって、そのなかで日本共産党は自分のことを本物だと言いたくて、他の集団をニセ物だって言ってるの?」
と勘違いしていた人が周囲にいたのかもしれない。
60年当時は国会周辺にたくさんの空き地があったのか問題
『百年』「安保反対闘争の大きな広がり」のところに次の文がある。
そもそも、なぜ空き地の説明が必要なのか、またこれで説明になっているのか、空き地はどこソースなのか、「してしまう」って何?など興味はつきない。
ネット検索で、国立劇場建設予定地が当時空き地になっており同地で集会が開催された、記者会館近くの空き地で座り込んだ、とヒットしたが、いずれも包囲できるようなものでない。
63年の航空写真はこんな感じ。
国会請願デモ
『八十年』には安保反対の国会周辺デモに関連して次の記述があったが、『百年』では削られている。
2015年安保法制反対デモが「請願」でなかった(?)ことの反映なのか、「赤旗」で解説を期待したいところ。
つづく
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