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上村裕香『ほくほくおいも党』 雑感その9

今回は、前々回(その7)に引き続いて「卒業制作版」(単行本)の感想に戻ります。「小学館STORY BOX版」(Web版)第4話・第5話にもすこし触れます。


◆「割り切る」あるいは「薄情」

前々回(その7)の続きものですので未読の方は、さきに「雑感その7」をお読みください。

前々回(その7)に続いて浅間くんとのやりとり。
浅間くんは飄々としているが押さえるところは押さえるヤツで、千秋とは真逆のキャラである。

知事選が告示されて、何日か経ったころ、千秋は浅間くんに誘われてふたりで放課後にロードランをしている。

浅間くんによれば、彼のお母さんは「共産党の人」(党員か支持者か。どちらかは書かれてない)なのだそうだ。

「ぼくは今度の知事選、きみのお父さんに入れるよ」
浅間くんはわたしの言葉をさえぎって言った。あごがあがっている。熱風がからだを包んで、脇をぬけて、わたしたちを置いていく。
ぼく、共産党支持してるから」
「それは」わたしは息をうまく継げなくて、ちょっと黙った。「お母さんの影響?
「影響がないとはもちろん言い切れないけど、それはみんなそうでしょう?親の影響を受けない子どもなんていない単純に、共産党の掲げる反戦とか雇用拡大とかジェンダー平等とかに賛同できるからだよ。」
「……そんなさ、割り切れるモノ?
「ぼくはね」彼が口元の汗をシャツで拭いた。「薄情なのかも。」

…背中が妙に冷えている。わたしは浅間くんを追いかけた。彼を抜きさって、その表情を確かめることはしなかった。

『ほくほくおいも党』

浅間くんの「親の影響を受けない子どもなんていない」は大事なポイントた。
彼は、「『党の子』『アカの子』の人生中間レポート」(北村いづみ。『文化評論』1988.3月臨時増刊号。詳しくは「雑感その7」をみてください)の「共産党員の家庭に生まれ育ってきたからこそ、…私なのであって、その環境、条件をはずして、私の意志を探したところで空論」と同じ趣旨のことを言っている。

この浅間くんの考えは間違ってはいない。そのうえ、浅間くんは本当にいいやつだ。
千秋に「割り切れるモノ?」と問われ、「理屈っぽいだけかも」ではなく「薄情なのかも」と返す。千秋の感情に寄りそう言葉を選んでいる——ぼくは「薄情」だけど豊田千秋さんは「思いやりのある人」だから——。

この場面の描き方が非常にうまい、というか、浅間くんの微妙な表情の変化を見逃さない千秋の浅間くんへの視線がとてもよく表現されている。
しかも他の登場人物と浅間くんでは描写の熱量が違うので、今後の展開に期待してしまう。
二人の偶然の出会いは必然となっていくのか。

(注)卒業制作版では、千秋視点から浅間くんを素晴らしく熱く描いてたけど、小学館STORY BOX版(Web版)第4話では浅間くん視点から語られる。 浅間くんの異母兄とのスキンシップ場面に気合が入ってて作者の趣味が出てしまってる箇所もあってけど、それより気になったのは、 彼が千秋に好印象を持っていることが明示的に語られていたことと、それにもかかわらず千秋への思い入れ具合の描写があっさりしてたこと。千秋のおっぱいのふくらみ具合を浅間くん目線でどう評価したのかなどは熱く語られていない。

(注)『ほくいも』と関係ないけど、「薄情」の類似用語に「淡白」がある。「淡白」は、「些細なことに」コダワって「引きずる」党員との議論を切り上げたい時に常用する党員がたまにいる。「淡泊になりなよ」と忠告なさるのだ。しかし、しかしである。淡泊になれと言われたコダワる人のことを
「えーマジ?淡泊ぅ~(笑) キャハハ」
と、まったく別の意味で悪気なしにおしゃべりする一群の方々もいる。
いろんな意味で禁止にしたい用語である。


◆「引きずる」あるいは「小さなことにしようとしないでよ」

ひきこもりの兄のことで千秋は母と言い争いになる。
千秋の母は別居中で彼氏と暮らしている。離婚届は理由があって出していない。

「お父さんに、殴られたことあると?食事抜きにされた?学校行かせてもらえなかった?党に寄付して家が破産した?犯罪を強要された?」
「それは」
「なにも、されとらんやろ?あんたたちは、安倍さんを撃ったアイツとはちがう。ちょっと子どものころからかわれてショックだったくらいのこと、いつまでも引きずられても、こっちも困るわ」
……
「お母さん、そうやって小さなことにしようとしないでよ」

『ほくほくいもお党』

さすが母と娘の会話である。母娘はこうでなくちゃいけない。父と娘との間では見られないストレートなぶつかり合いだ。

母の言うことそれ自体はもっともなのだが、娘にとっては「割り切れ」るものではない。割り切って切り捨てることができるのはそれが「小さい」からだ。若い彼らにとっては「割り切って」しまうと自分のこれまでの短い人生の少なくない部分を否定しないといけなくなるかもしれないのだから。

しかし、千秋の返し「小さなことにしようとしないでよ」は素晴らしすぎて惚れ惚れする。いろいろな会議や討論で応用できそうな汎用性の高いセンテンスとして、レーニンの言葉とともに記憶にとどめておきたい。

この事情は、とるにたりない些細なことのように思えるかもしれない。しかし、…これは些細なことではないと思う。あるいは、些細なことだとしても、決定的な意義をもつようになりかねないそういう種類の些細なことだと思う。

(レーニン「1922年12月24日付の手紙への追記」)

最晩年のレーニンは、トロツキーとスターリンという二人について、思想や理論でなく、性格や行動がまったく正反対であることに起因する対立が党の分裂を引き起こしかねない決定的な要因になると見抜いた。それへの組織的な対応策としてレーニンは、中央委員の数を増やし中央委員の労働者党員比率を高めることを提案した(その提案は実行されたものの十分な成果をあげれなかったけれども)。
現在の日本共産党の党員であっても、党の綱領や路線、マルクス主義への理論的確信はあっても、党員同士や機関との感情的な争いやいざこざが原因で党活動から遠ざかる人もいることだろう。感情にまかせた打撃的発言や感情的な行き違いを「小さなことにしよう」とせずに丁寧に扱うことが大事だし、組織的な対応策の整備が必要なこともあるだろう。
党員である親と党員である子との間の家庭内問題がからむ争いともなると、それはもう大難問であることは難くない。党組織で解決すべき問題と家庭内問題とを切り分けてそれを当事者に理解してもらうことからして大変であろう。


◆親が一筋縄ではいかない人

「『党の子』『アカの子』の人生中間レポート」の作者もそうだが、『女性のひろば』の二世女性党員たちの座談会でも、親と子のかかわりが良好であったことが口々に語られている。

——…本当に子ども一人ひとりを大事に尊重してもらったことです。活動のことをよく話してもらいましたけど、親のいうことには従わなくちゃいけないという風潮はなく…友達づきあいや進学のことでも子どもの気持ちを慎重してくれて、押しつけられたという思い出が全然ないんです。…
——…私自身も貧乏をつらいと思わなったのは両親に愛されているという実感があったからなんでしょうね。…
——…私も両親が私たちのことをすごく大事にしてくれていると実感していました。…そういう両親への信頼が党への信頼につながったのは確かです。

(「座談会・共産党員の子どもでよかった!」『女性のひろば』1988.5月号)

この座談会は共産党にとっての「模範例」だろう。

もっとも、親子の関係が良好であっても、子が模範的な党員にはならずに未結集となる党員二世もたくさんいるはずだし、そもそも民青にも共産党にも入らなかった子はもっともっと山のようにいるはずだ。

だったら、『ほくいも』の千秋や兄、コミュニティ「ほくほくおいも党」のオフ会参加者も、なおさら、はじめから民青や共産党に入らなければよかったのに、と、ふつうは思う。
しかし、そこが独特な親子関係、クセのある親のなせるわざであって、結局彼らは組織に入ってしまい、「割り切る」ことができないまま今にに至ってしまうのである。

コミュニティ参加者のある女性は党中央委員会国際部で翻訳の仕事をしていたけど、また、ある男性は現在も党専従だけども、親との関係と自分の共産党員としての生き方の問題をなかなか決算できずにいる。あるいは、決算するのを諦めた人もいる。


◆『ほくいも』のリアルに酔ってしまうと…

『ほくいも』の描写は、おそろしいほどに現場の空気感と登場人物の心の揺れを上手に表現する。
千秋やオフ会参加者の、幼かったころの記憶、子ども時代の体験、そして現時点での彼・彼女らの心情吐露――。
それらは、『女性のひろば』の「座談会」や「『党の子』『アカの子』の人生中間レポート」をはるかに超える切迫感や緊張感を持っている。
フィクションなのに、いや、フィクションだからこそと言うべきか、彼らの語りの迫真のリアルさは、本書の醍醐味だ。

その醍醐味に酔ってしまう人がいてもおかしくない、それだけの出来である。

醍醐味に酔ってしまうと、千秋の家庭内の具体的で個別的な課題がまるで日本共産党の組織全体の課題であるかのように一般化させて論じたくなってしまう。もちろん一般化できることもあるだろうけど、できないこともあるわけで、そのへんの微妙な部分を微妙なままに小説化したところに『ほくほくおいも党』の狡猾さ・うまさがあるともいえる。

(注)小学館STORY BOX版(Web版)第5話では、ひきこもりの兄・健二のネットに溺れていく様子が細かく描かれる。惜しむらくは、健二が高校時代に青年同盟に加盟したことがもとでサッカー部退部となった理由やそれが原因でイジメにあった一連の出来事の因果関係が読者にイメージできるように具体的に描写しきれていなかったこと。また、共政党に「半ば強制的に」入党させられた場面の描写(父や党機関の勧誘がどのようなものであったのか)やその時の健二の心情の変化なども丁寧に書いてほしかったところだ。それらが十分に描かれていれば、なぜ健二をあそこまでの行動に至らしめたのか、もっと説得力あるものになったのではと思う。この点は、卒業制作版でも詳しくは書かれていなかったので、原稿の分量が大幅に増やせたWeb版ではどうなるのか期待していのだけど。

つづく

つづきは、ほくほくおいも党という政党は小説において必要だったか、個人と組織について、千秋はまじめでやさしい子か、父は共産党員であろうとなかろうと奇天烈なのか、浅間くんは○○になったか、この小説でお父さんは作者に振り向いてくれたか、とか。


単行本『ほくほくおいも党』(卒業制作版)は、オンラインで発売してましたが完売していて再版の予定はないようです。
しかし、小学館STORY BOXで連載中(無料)で、毎月10日ころ更新みたいです。


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