『日本共産党の百年』読書ノート その8


「階級闘争の弁証法」か「政治対決の弁証法」か

『百年』の第3章に「階級闘争の弁証法」が出てくる。一方、第5章には「政治対決の弁証法」が用いられている。

…支配勢力は、1970年代前半から…反共戦略を本格化させました。
…党の前進が"結束した反革命を"つくりだし、それに正面から立ち向かうことによって、党が鍛えられて「ほんとうの革命党に成長する」という"階級闘争の弁証法"を明らかにしたマルクスの言葉(『フランスにおける階級闘争』、1850年)を紹介…(第12回大会、1973年11月)

『日本共産党の百年』p31s2

2020年代…市民と野党の共闘で新しい政権をつくるという政治的な大攻勢に踏み出しました。支配勢力は、…共闘攻撃、共産党攻撃でこたえ、党はその攻撃に…立ち向かって奮闘し、「政治対決の弁証法」は、いちだんと鋭い形で展開しました。(p54s1)

61年綱領確定以降の60年余は、「政治対決の弁証法」と呼ぶべき支配勢力との激しいたたかいの攻防の連続でした。(p56s6)

『日本共産党の百年』

最近は「政治対決の弁証法」が多用されている。8中総幹部会報告でも3回使われている。

私たちが「政治対決の弁証法」とのべているのは、"党は前進するときも後退するときもあるが、くよくよしないで頑張ろう"というものではありません。
マルクスは、1850年に執筆した『フランスにおける階級闘争』のなかで、革命というものは「結束した強力な反革命」を生みだすこと、それとたたかうことによって革命勢力が「ほんとうの革命党に成長する」ことを強調しました。弁証法というのは何よりも発展の科学だということを強調したいと思います。
 私たちが、支配勢力による攻撃といかにたたかってきたか、その中でどういう成長と発展のための努力をはかってきたか。この立場で、私たちが今立っている到達点と展望を大局的につかむことが大切であります

第8回中央委員会幹部会報告
https://www.jcp.or.jp/web_jcp/2023/06/20230624-8houkoku.html

「階級闘争の弁証法」も「政治対決の弁証法」も、同じマルクスの言葉を引用しているが、その意味に微妙な違いあるのだろうか。
「階級闘争の弁証法」は、レーニンも使っており、戦前から日本のマルクス主義者の常用句であることが分かる。
「政治対決の弁証法」は最近の造語のようで、グーグルの期間指定検索で絞り込んでいくと、「2012年党旗びらき 志位委員長のあいさつ『党創立90周年―歴史に学び、新しい歴史をつくろう』」が一番古そうだ。それを読むと、同年の赤旗新春インタビューで用いたらしい。

綱領路線の半世紀に、私たちは、反共攻撃の波に立ち向かい、新しい情勢を切り開いてきましたが、私が最後に強調したいのは、「政治対決の弁証法」は自動的には働かないということです。「第1の躍進」があり、「第2の躍進」があり、そろそろ「第3」かと(笑い)、自動的にはそうなりません。歴史を切り開く「革命勢力」が、「結束した反革命」にたいして、より強固な結束力を発揮して、粘り強く立ち向かってこそ、逆流を踏み越えて新しい情勢を切り開くことができます。その最大の保障は、強く大きな党をつくることにあります。

2012年党旗びらき 志位委員長のあいさつ
「党創立90周年―歴史に学び、新しい歴史をつくろう」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-05/2012010504_01_0.html

しかし、志位インタビューの5年前に、不破哲三常任幹部会委員が「政治対決の弁証法」という用語を用いた『日本共産党の歴史を語る 上・下』(2007.2)を出していた。中央委員会勤務員向けの講義を本にしたようだ。以下、関連箇所の抜粋。

目 次
第6講 政治対決の弁証法(70年代以後)
1. 1970年代前半ー日本共産党の躍進
2. "共産党封じ込め"戦略の発動(第1の波)
3. 反共構成のあいつぐ大波に抗して
    〔1〕日本の政治の様相が変わった
    〔2〕第2の波ー「体制選択論」攻撃
    〔3〕第3の波ー「非自民」攻撃
    〔4〕第4の波ー財界が演出した「二大政党」キャンペーン

この第6講には、「政治対決の弁証法」という表題をつけました。それは理由があります。
(以下、マルクス『フランスにおける階級闘争』からの引用などの説明)
…マルクスが19世紀半ばのフランスでつかみとった政治対決の弁証法は、20世紀の70年代から21世紀初頭にかけての日本の政治史の一側面をとらえる、的確な指針ともなっているのです。(pp146-146)

69年12月の総選挙を転機に…70年代前半には、共産党は選挙ごとに議席をのばし…70年代前半の事態から、こういう体制的な危機感を感じとって、"日本共産党封じ込め"の戦略をねり、これを発動したのが、70年代後半に政界の表面に一気にふきだしてきた反動攻勢でした。ここには、マルクスのいう"階級闘争の弁証法"の発現がありました。〔*〕
〔*〕私たちが…"階級闘争の弁証法"についてのマルクスの言葉を引き、その教訓を指摘したのは、73年11月の第12回党大会においてでした。(pp170-171)

…いま70年代以来の支配勢力の反共作戦を、4つの波にわたって説明してきましたが、その経過をグラフにしてみました。これを見ると、政治闘争の弁証法の働く姿が視覚的にもよくわかると思います。(p231)

このグラフには、日本の政治史における"階級闘争の弁証法"が描きだされています。…なによりの教訓は、"階級闘争の弁証法"は自動的にはたらくものではない、ということです。…「革命勢力」が「反革命勢力」にたいして、より強固な結束力をねばりづよく発揮して立ち向かってこそ、逆流をふみこえて闘争の新しい局面をひらくことができる…(p237)

不破哲三『日本共産党史を語る(下)』

結論。とくに区別して使われていない、だと思う。「政治闘争の弁証法」とも言っているくらいだ。
まあそうはいっても、同一文書中では統一したほうがいいだろう。

75年12月はじめに出た立花論文

『百年』では立花隆の名が復活している。『八十年』では「75年12月はじめに出た雑誌論文」と名指しではなかった。『七十年』は当然名指ししてる。

こういうのは名指しでいいのだ。党のwebサイトに立花批判論文をタダで読めるように全部アップしとけばいいのだ。いまだに立花本をありがたがる人がいるからなのだ。
自公政権下での多発する公文書改ざんを知っているのなら、戦前の絶対主義的天皇制下の官僚機構の文書が正しいことを前提として、その最大の敵であった日本共産党の歴史を記述したらどんなものが出来上がるか、想像できるのだ。

こうしたなかで、支配勢力は、さらなる反共戦略をめぐらし、『文芸春秋』誌で「日本共産党の研究」(立花隆)という党攻撃の連載をはじめ(76年1月号~77年12月号)…

『日本共産党の百年』p31s4

75年12月はじめに出た雑誌論文や、…民社党春日一幸委員長らの質問の形で、新しい日本共産党攻撃が展開されました。

『日本共産党の八十年』p210

田口・不破論争ほか

70年代後半の民主集中制論争に係る記述が復活した。ただし名指しはなし。『八十年』は記述なし。『七十年』は記述あり、「田口理論」と名指し。

(77年10月、第14回大会をひらき)…反共攻撃や論壇の一部にの民主集中制の規律を否認し、その弱化を求める議論があることを重視して、これが発達した資本主義国における政治闘争の独自のきびしさや複雑さをみずに、革命政党を弱化させる解党主義の議論に帰着することを解明しました。

『日本共産党の百年』p32s7-p33s1

…民主集中制の問題について、「論壇の一部の議論に、発達した資本主義国での革命という特殊性を理由に、前衛党における民主集中制の規律を否認したりその弱化を求めたりする議論が、一つの傾向としてあらわれてい」ることを重視し、それが「発達した資本主義国における階級闘争や民族闘争が独自のきびしさや複雑さをもつことをみずに、前衛党を弱化させる解党主義的傾向を合理化する議論に帰着するものである」(中央委員会報告)ことを指摘した。この指摘は、その後も、反共攻撃がつよまるたびに、党内外にしばしばうまれた民主集中制への解党主義的立場からの攻撃にたいする反撃の理論的根拠をあたえたものとして、重要な意義をもった。(p65)

論壇などでの一部論者による誤った民主集中制論が、無視できない否定的役割をはたしていた。…分派や派閥の事実上の容認につながるよう規律をゆるめることを主張したり、行動では少数が多数にしたがうにしてもその党の方針にたいする批判の自由を保障するのが近代的政党としてあたりまえだと主張するなどの傾向をもっていた。…これらにたいしては、不破哲三…「前衛党の組織問題と田口理論」([前衛]80年3月号)…をはじめ…批判的解明を行った。(p82)

『日本共産党の七十年・下』

なお、1979年に、田口富久治教授を批判する不破書記局長の論理と、2023年に、松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』を批判する土井書記局次長の論理に、異なるところがあった。

田口氏の前衛党組織論…それは、共産党の「組織の質」が「国家体制の質をも事実上規定する」…から、社会に自由よ民主主義を保障しようと思ったら、共産党の組織原則や組織形態に、それにふさわしい改革をくわえなければならない、ということである。
…これらの論理の根底に、政党と社会あるいは国家という、その性格をまったく異にする二つの存在の不当な混同があることは、わが党が早くから指摘してきたところである。

不破哲三「科学的社会主義か『多元主義』か」(『前衛』1979.1 pp26-27)

政党のあり方と、社会のあり方――とりわけその政党が政権党になった場合に、その社会がどのような社会になるのかとは、もちろん無関係ではありません。
党内に自由も民主主義もない全体主義政党が権力を得たことが、民主共和制を破壊して、全体主義国家を生み出すにいたったことは、ナチス・ドイツの例が示しています。旧ソ連の場合も、レーニンの死後に権力を握ったスターリンが党内の民主主義を根こそぎ圧殺したことが、大量弾圧、専制国家への転落につながっていきました。
民主的な社会をめざす政党ならば、その党内のルールにおいても民主的運営をつらぬくことが求められるのは当然であり、わが党はそのための努力を重ねています。同時に、社会を発展させるためには、政党としての団結したたたかいが必要であり、「行動の統一」が不可欠です。

土井洋彦「政党のあり方と社会のあり方の関係を考える― 一部の疑問に答えて」(赤旗2023.2.25)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-25/2023022504_06_0.html

つづく

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