(4)第4章部分
真の平和綱領のために
『百年』。「世界平和と核兵器廃絶をめぐる国際論争」の部分。
「真の平和綱領のために」において核抑止論にソ連が陥っていることを批判したことが追記された(『八十年』には記述なし)。
1973年に中国の核実験をうけ、日本共産党は「中ソの行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは、簡単にいえなくなってきている」との態度表明を行った。
今回1981年の「真の平和綱領のために」では、70年代よりも危険な国際政治の体系が生まれており、その原因に(アメリカに加え)ソ連が「軍事力均衡論」に陥ったことがあるとした。アメリカ帝国主義が軍拡競争の起動力であるとの見解は変えていない。
朝鮮総連との関係回復
『百年』の「北朝鮮の国際的無法」の箇所。
83年の朝鮮労働党との断絶に係るの記述の後に、次の記述が追加されている(『八十年』には記述なし)。
初めて知った。
2000年11月に、不破委員長が朝鮮総連代表と懇談している。
https://www.jcp.or.jp/jcp/yakuin/3yaku/FUWA/fuwa-file/201121_22_fuwa_souren.html
2001年5月に、朝鮮総連大会で志位委員長が来賓あいさつしている。
https://www.shii.gr.jp/pol/2001/2001_05/O2001_0526_1.html
ただ、いずれの記事も関係正常化の経緯までは書いていない。
宮本退陣論と幹部政策
『百年』。第19回党大会(1990.7)の箇所に次の文が追加されている。『八十年』に記述はないが、『七十年』にはある。
『七十年』では、宮本議長の論文「歴史にそむく潮流に未来はない」を紹介し、党の指導部論として重要な意義をもつと書いていた。
その後書かれた共産党の幹部政策の論文はだいたいがこの宮本論文を下敷きにしていると思われる。
同じことが書かれていても、宮本顕治があの文体で書くと印象深いものになる。宮本議長は同論文で、『ゼンボウ』、『週刊朝日』での松岡英夫氏や井上ひさし氏、『朝日ジャーナル』での本多勝一氏の各論に触れながら、(その内容に反論のある人は当然いるだろうが)教条的でなく、官僚的作文でもない、読ませる反論をしている。
二全協
『八十年』には91年10月開催の第2回全国協議会について簡単に触れていたが、『百年』では削られた。
ついでに、一全協(84年4月)については『八十年』『百年』ともに記述なし。『七十年』は2ページとそれなりの分量(pp191-193)。
なお、2000年の第22回大会の規約改定において、臨時党大会の制度があり全国協議会は不要との理由で削除された。
参考:過去の全国協議会(『七十年』『六十五年』の年表による。正規でない全国協議会にはカッコ「」をつけて表記する)
第1回全国協議会 1945.11.8-10
第2回全国協議会 1947.1.6-9
「第3回全国協議会」 1950.6.18 (所感派の開催した全国代表者会議を三全協と呼んだ。正式ななものでない)
「第4回全国協議会」 1951.2.23-27 (所感派開催。正式なものでない)
「第5回全国協議会」 1951.10.16-17 (所感派開催。正式なものでない)
「第6回全国協議会」 1955.7.27-29 (不正常なもの)
第1回全国協議会 1984.4.10-13
第2回全国協議会 1991.10.9-11
つづく
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https://note.com/aikawa313