『日本共産党の百年』読書ノート その3
占領下の平和革命路線
まずは、『八十年』の、「第五回党大会で」から「欠けていました」までを読んでみる。
次に、『百年』の「第五回大会は」から「欠いていました」まで読んでみる。
『八十年』では、"大きな弱点とは、当面する民主主義革命を平和的な方法で行おうとしたこと"と読解できるし、実際そうであった。
しかし、『百年』では、"解放軍規定は大きな弱点だったが、その他は特に問題はなかった(=占領下平和革命路線は間違っていなかった)かのように"読者が読んでしまう叙述となっている。
所感派も事大主義
『百年』では、1950年コミンフォルム論評への対応について、所感派も国際派も事大主義的だったと書く。『八十年』では記述なし。
『七十年』では、"国際派の主張自体は正しかったが事大主義的だった"と書かれており、所感派が事大主義的かどうかは触れられていなかった。
朝鮮戦争とスターリンの目的
『百年』では、朝鮮戦争に係るスターリンの目的や意図まで踏み込んだ記述となってます。『八十年』は目的までは書かれていません。
六全協の51年綱領評価
『八十年』では六全協の51年綱領(51年文書)評価に関して次のように記述するが、『百年』では該当箇所(p19s1)に同記述は見当たらない。重大なことなのに。
臨時中央指導部と旧優性保護法賛成
公職追放や議員除名については、議員団に責任があるわけではなにのだから『八十年』の記述のように素直に「困難にみまわれた」と書いたほうがよいだろう。
「『臨中』指導部との関係もあり」は、『百年』で追記されたが、その意味をくみ取るのが困難だ。
その直後に、旧優生保護法改正に賛成した議員団の誤りの文章が続くので、同法賛成の誤りの責任は「臨中」にあるのだろうかと読者は推測しながら読むことになる。
しかし、2023年7月26日に志位委員長は『日本共産党の百年』発表記者会見で旧優性保護法の誤りについて語っているが所感派の責任について一言も触れていない。
https://www.shii.gr.jp/pol/2023/2023_07/D2023_0728_1.html
重光首班論については『七十年』で明確に所感派の誤りだと記載されている。
旧優生保護法賛成が「臨中」の責任であるとする根拠資料を公開してほしいところ。
「北京機関」諸組織の解体時期
六全協に係る記述の後に次の記述がある。『八十年』にはない。
『七十年』の年表から関連事項を抜粋すると次のとおり。
党学校が57年まであったのなら『百年』の記述は何なのか。
「諸組織」とあるので放送局以外に55年中に解体した組織があるのだろうか、補足説明が欲しい。
つづく
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