「いつか」をやめて生きている話
2022年11月19日 土曜日。
5歳息子を連れて、香川から名古屋まで日帰りした。
本当は1人で行きたかったし、泊まりたかった。
でも行くならその日しかなかった。
知人の、「名古屋の美術館に行ってきた」という投稿を見たのがその数日前。
その展示は、私が高校二年生の時に選択科目の美術で教わった吉村芳生先生の展示だった。
当時、山口の高校。
先生の赤いチェック柄のシャツ、デニムパンツの出立ちに、
「学校の先生」という感じはなく、
めちゃくちゃ失礼ながら「売れている画家」という感じもなかった。
当時は、「先生は本業じゃなくてなんか画家らしい」
くらいの認識だった。
高校を卒業してから地元の小さなギャラリーで個展を開かれているのを知り、
母と見に行った。
色鉛筆だけで描かれた精巧な絵に魅了された。
ポストカードを買って、当時使っていた手帳のビニルポケットに挟んでいた。
(さっき確認したら手帳の中にはすでになかった)
数年後に私は大阪に出て、さらに数年後に母から先生が亡くなったことが新聞に載っていたということを聞いた。
その時に、私が高校を出た後に都会で有名になっているというのは聞いていなかった。
だから、今回の展示の存在に気付いた時にとてもとても驚いた。
すぐに次の展示の予定を調べたけれど、
予定は見つからなかった。
同じ内容で春にも北九州で開催されていたようだけど
またどこで開催するかわからない。
しかも展示の期間は20日まで。あと数日で終わる。
「今月の初めに名古屋出張していたのになー!」
と悔しくなったけれど、悔しがってもしょうがないのですぐに切り替えた。
19日だけがたまたま ぽっかりと何の予定も入っていなかった。
だけど夫が家にいない日。
1人ではいけない。
長距離を息子と移動しなければいけない。
どうしよう。
どういうルートが子連れに1番マシ?
いつの間にか、私は「行くこと前提」のみで考えていた。
夫に「どうしても行きたい」と相談した。
19日は夫が大阪に車で行く日だったので、
大阪まで3人車で行くことになった。
香川から大阪まで車で3時間、
さらに1時間、大阪から電車と新幹線を乗り継いで名古屋に行き、タクシーに乗り美術館に着いた。
結果、
行って肉眼で見れてよかった。
写真にしか見えない絵。
でも近づくと真っ白なキャンバスが力強く色鉛筆で塗り重ねられている。
力強い絵は100点近くはあったと思う。
急に連れてこられた息子は、最初は「まだー?帰りたい〜」と叫びながら美術館の中を走ったり寝そべったりして
なかなか大変だった。
静かな美術館の中の自由本邦な息子。
肩身が狭くて作品の細部もタイトルもさっと目を通すだけでどんどん館内を歩いた。
出口付近が見えてきたところで、
私の先生の作品ということ、
よく見ると色鉛筆や鉛筆で描かれていること、
そして先生はもう亡くなっていることを息子に伝えた。
「へー」と言ってから
息子はまた入り口に戻り、覗き込むように一つ一つの作品を見出した。
なので実質2回周ったような感じになったので
じっくり見ることができた。
最後の展示だけ撮影可能だった。
美術館の出口を出て、息子をぎゅっと抱きしめた。
「かぁちゃんの先生の作品を見に来るの、ついてきてくれてありがとう」
実はあんまり息子と遠出したくない。
なぜなら、手を繋いでいても
急に道に正座して引っ張られたり、
急に方向転換してダッシュしようとするから
私は手首を痛めて長く手を繋げられない。
でも手を離したら0.5秒で人混みに消えていくので離せない。
名古屋も手首が痛くなってきたのがタイムリミットで滞在3時間で
帰りの新幹線に乗った。
昔、私は「いつか」にまみれていた。
「いつか行こうね」
「いつかやりたいな」
そのうち「いつか」は一生来ないと悟った。
だから、「いつかをやめて日付を設定する」と決めてみた。
今回も「いつかまた先生の作品見れるかな」と思ったら行くとは決めなかったと思う。
素晴らしい作品なので
またいつかどこかで作品の展示はあるとは思う。
でもそこに行ける保証も、自分が健康に生きている保証もない。
だから無理してでも今行きたかった。
今日、夫が「これ」とヤフオクで落札したという先生の作品を出してきた。
先生の名前を探してこっそり落札してい
た。
私が習う2年前に描かれた風景画だった。
息子が「かぁちゃんの先生の作品!」と言っていた。