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発信できるだけでよかったのに
誰かが自分の気持ちを代弁しているような文章に出会えるとそれだけで興奮する。
このNOTE1つにとっても様々な発信が日々あって、自分の感情を探すように画面の文字を見ていた。私も誰かに届けたくて毎日投稿している。
最初は、投稿できた達成感でいっぱいだった。スキが1つくだけでも自分の思いに賛同してくれるようでうれしかった。放った言葉たちは誰かのもとに届き、それぞれの思いで解釈がされていく。そして自分のことを言われているような気になって心が震える。大きなスクリーンで映画を見てほっこりなって、少し泣いて、日常の嫌なことも忘れて、幸せな気持ちになるような感覚。そんなことを考えるだけで会って話をしなくても繋がっているようで。ネットの世界は私にとって現実だった。
日々増えていくスキのアクションやフォローが継続していく言動力になった。
欲求と才能
記事を見ていく中で心を打たれると同時に私は悔しさを感じていた。頭の中に浮かんだイメージが文字に表現できず悶々としているときに、伝えたかった言葉がアップされてほかの人の文章になっている。
そうだ、私もこう言いたかった。
気づくのは自分の文章力のなさと追及する強さ。みんな文字に表現できない苦悩を味わって、それでもあきらめず走り続けているからたどり着くところなのにとても遠くに感じる。
違う、もっといい文章を。
そう思うと、苦しくて、つらくて、書いては消すの繰り返し。日々感じていることを発信できるだけでよかったのに、いつの間にか高い理想に挑んでいる私がいた。満足できる作品を生み出せないのは才能がないせいだと言い訳して。大体すぐにできるならだれでもしている。簡単なようで難しい「誰かの心を打つ文章」はすぐにできるものではなかった。
きっと私は妄想が過ぎたんだと思う。人とは違う感性を持っているから誰も言えなかったことが文章にできて、みんなに賛同されて、注目されて・・・自分の実力を直視してなかった。結局たくさんスキを押してもらいたいし、フォローしてもらいたい、認めてもらいたい、愛されたい、誰かの1番になりたかった。欲望は大きくなりすぎて、満たされない。満たされないと不安になる。不安になるともっと認めてもらいたくなる。同じループをぐるぐる回っている。誰かの心には届いているのに満足できずにいる。
視点をかえたらよく見えるのに私はゆがんだ目でしか見れない。誰かに”与える”だけの文章は、形をかえて何かをもらわないと成立しないことになっていた、傲慢な心。
NOTEは価値を作り続けるただの場所なのに、まるで人生のすべてと思い窮屈なものにしているのはほかの誰でもない私だ。
自己肯定が低く、さげすんでみて、自分なんかがみんなにといつも決めつけているけど、本当は私を見てほしいと思っている。目立ちたいから多くの人が集まるSNSという場所で声をあげているんだと思う。人気になって私の人生がどうこうなるとは思っていない。ただ、さみしいあたしを見つけてほしいそれだけなんだ。
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