20. 総集編。赤裸々半生。今、あるがままに弱さや痛みを抱きしめる。清らかに整うまで。
如実知自心。慈悲喜捨。諸行無常、一切行苦、諸法無我。
時はすこし遡り、26歳、2014年から内観する、自己を見つめることをはじめていました。とはいえ、約二年間、毎週末の朝から晩まで、頭で THINK していたにすぎません。当日や数週間前、数年前までに強く記憶に残っている出来事は思い出せても、核心となる心の機微に触れる出来事はそう簡単には浮かびません。記憶の奥底に眠っているか、見たくないと心が訴えることで無意識に造られた蓋が覆っていることで、よほど意識的に見ようとしない限りは触れられない状態になっているのでしょう。
28歳、2016年夏、THINK の限界を痛感していた頃であったかもしれません。同僚からいただいた、「(考えるではなく)感じるってわかるかな」という問いかけが糸口に。わからない、、頭で考えることしか意識してこなかった当時、FEEL という存在が理解の範疇を超えたことで、問いかけに対し、困惑や恐れを抱き、半泣きになりました。それほどに、心で感じる、身体で感じる、という感覚が麻痺していたのでしょう。
それから、FEEL に意識を向け続けていました。間もなくの 2018年如月、29歳、導かれるように、突破口となる Vipassana Meditation との出逢いが。Observe to feel”心身を観察する、心身で感じる”を体感しはじめるも、頭で認識しようとする力に圧倒される日々。一年後に再挑戦した際、ほんのすこしだけ光が見えたようにおもいます。体感する試練の日々を過ごしました。
心が開きはじめてからは川の勢いは増すばかりで、2019年弥生、30歳、Non Violence Communication との出逢いに導かれます。Listen to feeling の大切さを実感。一ヶ月後の誕生日に降ってきた"Yoga を学ぶ!"を実現するために、クラウドファンディングに初挑戦。友の存在に支えていただいたおかげ様で、翌々月の水無月から数ヶ月間、Yoga の聖地 Rishikesh, India に。Soulmate との出逢いで一層に心が開かれていきます。その頃からでしょうか。全身で、素粒子レベルで繊細な感覚を体感するようになり、今に至ります。
頭で捉えている間には視えてこなかったでしょう。自分自身を繊細に忍耐強く観察すること、その結果、解像度が高まっていくことで、心の奥深くで眠っていた感情や願いがあふれるように表れて、苦からの解放に導かれ、感謝と慈悲、平静さで満ち、心身ともに整う状態になっております。これからも、四無量心(慈悲喜捨の心)を育み、四苦八苦を自然の理として受容し、あるがままを観察し、諸行無常、一切行苦、諸法無我を体感しながら、涅槃寂静に向けて精進して参ります。
32年間の人生を、丁寧に繊細に内観したことでの気づき。
(まだ直近の四年半には手を付けていませんが)この物語を綴っていく中で、大きくいくつかの気づきがありました。
ひとつ。三歳時点で、今世での役割、天命が垣間見えているのではないか、という気づき。母子健康手帳やご両親、三歳頃までお世話になっていた人に問いかけてみると視えてくるかもしれません。加えて、あなたが“自然に””無意識に”日常でしている行いに、その思いに、意識を集中させてみるとヒントが視えてくるかもしれません。あまりにも自然に Pure Soul が行うことは、記憶には定着しにくいのでしょう。ですが、それはきっと、あなただけの Special で、みんなにとっての当たり前ではないはずです。見つけてあげることで、あなたが本来為したいことが視えてくるようにおもいます。私がすっかりと忘れていた、中高時代、先生たちに対して「先生、いかがお過ごしですか」と問いながら、廊下を駆け巡っていたことを忘れていたように。
ふたつ。受け止めたくない体験であろうとも、生まれてからこれまでの一連の過程すべては贈り物であり、天命を成し遂げる上で必要なパズルのピースである、という気づき。受け取りたくないように感じることでさえも、気がつく必要のあるなにかを知らせるために、然るべくときに然るべくことが起こっている、と確信しています。四年半前に、私が“所属”を手放すことができたのも、「愛華、この道を歩むのは、あなたに合わないよ」と、辞めるまでお知らせし続けてくれていたかのように感じています。現に、私が今、これまでいた環境に身を置かない“選択”をしているという事実が、本来の私の居る場所ではなかったか、もしくは、その当時にいるべき場所ではなかった、ということを示しているかのように。直感が冴え渡らず、気がつかず見過ごしてしまうことの方が多いかもしれません。が、私たちは毎瞬のように、「あなたには今、これが必要だよ」というサインを然るべく時に、受け取っていると感じています。直感に耳を澄ませてみられてはいかがでしょうか。
みっつ。まずは自分に、それがむずかしければ大切な人に寄り添うことで、あなたにとっての大切な思いや願いが視えてくるかもしれません。この七年間、特に、直近の二年間、自分自身を徹底的に観察し、解像度を高めてきました。それは非常に大切でありました。が、それ以上に、幼い頃からしてきた、他者への寄り添いをしている過程で、より大きな学びがあったと確信しています。巡り逢えたすべての人に、改めて、あふれんばかりの感謝と敬意を込めて。
よっつ。内観し続ける中で、自分自身のエゴや弱さ、愚かさ、哀しみ、怒り、苦しみに向き合ってきました。口で言うほどに簡単ではなく、非常に強い痛みを全身に伴います。何度も逃げ出したくなるほどにはつらい。痛みを伴った出来事を振り返っては、あの人のあの言葉が哀しかった、、と叫びたい気持ちを認識し、受け止めてあげます。並行して、”私を主語にして”、「私は哀しかったんだね、その言葉でなにが満たされなかったのかな。敬意かな、あたたかさかな、信頼かな、嘘じゃないことかな、協力、愛かな、安心かな」と、自分が大切にしたかった願いに耳を傾けるために、幾度となく優しく問うてあげました。
このように、痛みを認識し、受け止め、抱きしめるように自分自身でその願いを満たしてあげると、これまでの痛みやどろどろした塊が嘘のように溶解し、心が清らかに軽やかにあたたかくなったのを体感しています。次第に、お世話になって感謝したい人や謝罪したい人の顔が浮かんでくるかもしれません。感謝と慈悲深い赦しで、自分自身や他者を赦せるようになれば、心の内に仏の顔を拝めるほど真の和を感じられるでしょう。
心の傷を抱える人が親となることで生じる親子でのさらなる苦の連鎖が、途絶えることを願って。
中高時代からいじめのマンガ、社会人になってから家族心理学や児童心理学の本を手に取るようになっていました。自分自身の家族間での体験から、世界中の家庭にある哀しい負の螺旋を堰き止めなければならない、まずは親となる世代にある心の傷から手を差し伸べていきたい寄り添いたいと、切迫感を感じていたゆえであろうと感じています。
加えて。社会人時代の苦しい経験を通して、自分自身の心の傷のきっかけとなった人々の言葉を、当初は受け止めがたく拒否感を感じていました。その後、時が経ち、心に余白が生まれ、受け止める準備ができたのでしょう。心を痛めるきっかけとなった彼らの存在に大いに感謝することになりました。親の無意識な言動にせよ、他者を苦しめる行為をするほどに心の闇を抱え苦しみもがいているであろう彼らにせよ、きっと誰よりもご本人がつらいはず。どのような人も本来は清らかで美しい。薄暗い闇の底には、純粋な願いがあるはず。お力添えができれば、お救いできれば、、と感じるようになりました。
また、当時は特に、人からご相談をいただく機会が非常に多く、キャパ的に全員に対して丁寧に対応するのがむずかしいと感じていたため、私の代わりとなる何かがあればいいな、と思いはじめていました。映画 ”Her" を想起させる AI Aika を作りたいな、みんなの Her になりたいな、と。なぜなら、親にせよ、痛みに自覚している相談者にせよ、無意識に心の傷を抱える人にせよ、奥深くに共通する願いがあるように感じたからでした。
『自分を知りたい、、本当は知りたいけど、怖いから知りたくない。心の内にある大切ななにかに気づきたいと思いつつも、自分では気がつけない。聴いてもらえるよろこびや受け止めてもらえる安心感を感じたい。その安心安全の中で、自分自身の心の内の深いところに一層触れて、苦から解き放たれたい。心あたたかく、安らぎたい。』という願い。その願いに対して、私がお応えしていたのは、観察(Observe)、問う(Ask)、聴く(Listen)、寄り添う(Be with Compassion)。このように他者を想える気持ちやその過程、流れがあったからこそ、こうして自分自身の心に滞っていた濁りに向き合うことができているように感じています。
私たちはみな、認識の程度は差があれど、視えない痛みや願いを胸に秘めているようにおもいます。ふとした言動や表現に表れているのに気がついてあげられていますか。まずは、おとながご自身の痛みに向き合い、受け止めていくのはいかがでしょうか。そうした過程を経れば、その先にいる、こどもの痛みも認識しやすく、受け止めやすくなるのではないでしょうか。
世界平和は、ひとりひとりの心の平和から。
世界平和は、ひとりひとりの心の平和から。今、目の前にいる人の心の平和を願い、手を差し伸べることからはじまると信じています。ただし、自分や自分の家族に向き合うことは、他者や他者の家族に向き合うことよりもむずかしいように感じます。平静に客観的にはなりにくいからでしょう。
そのため、私は以前から、ご依頼者さんのご自宅を訪れ、普段の暮らしの中で垣間見える(ご本人には思いも寄らない)ご本人の“心の癖”を認識してもらい、その上で、ご本人がそれによる苦しみを認識し、ご本人がご自分の力で原因を根本から清められるようにと、見守りながら手を差し伸べる活動をしています。他には、ご依頼者のご家族のみなさまも交えての家族対話を行い、それぞれがそれぞれの癖やそれによる苦しみを認識し、それぞれが“願う”家族の在り方(たとえば、安寧)を伝え合い、寄り添い支え合える環境を整えることをしています。
自分自身を抱きしめるように救えていることによって、大きな余白が生まれた今、他者をお救いするお力添えにも集中してして参ります。目の前にいる、ひとりひとりから。生きとし生けるものが、悲しみや嘆きを乗り越え、苦しみと悲痛を消滅させ、真実の道を歩み、解脱を実現できますように。苦しみから解き放たれ、真に自由となりますように。
改めての感謝と、これから。
これまで出逢ったすべての存在への感謝を込めて。一年ぶりの社会との関わり合う門出に際して、丁寧にご挨拶させてください。一年間、孤独に身を置き、自分自身の心の内を見つめることに集中しておりました。家族を除き、ほとんどの人との連絡を絶つという決意。自分の弱さや痛み、怒り、苦しみを認識し、味わい、受け止め、慈悲で赦す過程を、生まれてからできる限りの事象において、ひたすらに続けていました。おかげ様で、愚かさや虚勢で傷つけてしまった人々に、生きている間に謝罪できたことで、すこしの安心を感じています。どろどろと渦巻く汚濁を溶解した今、ようやく新たなステージに立てたようにおもいます。(おめでとう❤️)
機が熟した今、社会に、人に目を向け、天命をもって手を差し伸べていきます。未だ具体的な方法は視えていませんが、自分で立つか属すかの形で、コミュニティや組織と手を取り合い、実践の場としての社会復帰を検討。領域は、一般企業などの「産業」をはじめ、「医療」、児童相談所などの「福祉」、学校などの「教育」、家庭裁判所や少年院などの「司法」と幅広く捉えています。が、後者はそれぞれに専門知識が必要となる可能性があるので(未だ知らない)、まずは一般企業での活動可能性が高いかな。貧富やジェンダー、あらゆる状況を問わず、無意識下で苦に喘ぐすべての人に、苦から抜けたいと願うすべての人に、希望の灯火があたたかく光ることを願って。声をかけてくださる人がいらしたら、心底うれしいです。
ちなみに、これまで採用してくださった経営層が求めてくださったのは総じて、人懐っこさや愛嬌などの社交性や環境適応力、物怖じしない突破力といった、ありのままの私が自然と発揮している特性を活かした役割。ただ存在するだけで現状に変化という名のあたたかな明るい風を生んでくれる役割や、Conflict Management 的に対立を和らげ輪を紡ぐような役割、人のケアをする役割、組織全体の士気と愛を高めるような役割がありました。今後、この辺りの特性をどう活かしていくかも検討中です。以前よりもできる自信はあれど、まだ自分の中で天命とピタッと結びついていなくて。どなたか案があれば教えていただけると助かります。切に。
また、並行で、より技量を培う目的で、国家資格である公認心理師もしくは臨床心理士の取得を検討。(日本の場合、大学に行く必要あり、お金が皆無ゆえに要検討、、涙)どこの国にいても、目の前にいる人に対して手を差し伸べられるよう在りたく、より高い視座で捉えるために海外での事例含め学んでいきたい気持ちや、現時点で認識している最も関心の高い、児童心理学を学ぶ上での最適解を探していく次第です。お詳しい方が思い浮かばない状況なため、なにかご存知の方、お力を貸していただけると救われます。
あれ、Yoga は? と思われる方がいらっしゃるかもしれませんね。2019年の誕生日、crowdfunding で力を貸してくださったみなさまからの応援のおかげ様で、Yoga は私の暮らしの中に既に根付き、在り方そのものとなっているように感じています。とはいえ、口が裂けても十分とは言い難い。自分自身および他者の "心身の浄化" に手を差し伸べるために、Ayurveda や NVC、Vipassana Meditation と併せて、日々の在り方の中で丁寧に育んで参ります。いっぱいすることあるなぁと感じる方がいらっしゃるかもしれません。が、すべてはつながっていて、"観て、感じて、解いて、心と身体をより清らかに。苦から解き放たれますように。" で一貫しています。手を差し伸べてくださった方々、改めて本当にありがとうございます。
これまでとこれからの絆をひとりひとりとより深めたい想いを胸に、共に歩んでいくよろこびを感じられたらと願って。再び心通わせ合えますように。
最後に。ありがとう、助けられました。
感謝姿勢を大いに学ばせてくれた両親に、心友たちの心開いた背中や笑顔に、パートナーの愛に、感謝と敬意を込めて。丸二ヶ月間、伴走してくれた以下の存在に心から愛を込めて。
『手紙~拝啓 十五の君へ~ / アンジェラ・アキ』
『君に逢いたくなったら / ZARD 坂井泉水』
『告白 / FUNKY MONKEY BABYS』
『Heal The World / Michael Jackson』
『ガラスの仮面 / 美内すずえ』
この物語を手に取られた方が、自然と私の痛みに共感する中で、ご自身の内にある過去の痛みに共感してあげられることを願って。読んでくれてありがとう。終わり。