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15. 力まずに、いかなる過去にも誠実に、胸を張れたなら。旅での出逢い、恋愛、暮らしのコンセプト。
思いの外、打ち明けることになったなあと、我ながら驚いている。友人への謝罪をしたい気持ちからはじまった物語であったが、自分の気持ちを見つめ、知って、言語化することで気がついてきたのであろう。いかなる過去においても、恥ずかしいとおもうのは、自分に対して失礼であると。ひとりひとりが、誰にも打ち明けられない過去があったり、苦しんでいたりするのかもしれない。他のだれかに言う必要はない。が、力を抜いて、自分にだけは素直にその時の気持ちを打ち明けて、寄り添ってあげることで、内にある苦がすこしでも軽くなっていくことを心から願う。
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“相手を大切にする”気持ちと行動を姿勢から学んだ。愛をありがとう。
さて。もうそろそろ、終わりたいところではあるが、直近の十年間の方が色濃かったので、自分のためにもうすこしがんばりたい。
二社目入社後数ヶ月の時点で、二人目の彼氏とはお別れしていたようにおもう。期間は最短で半年ほどであったろう。心の支えを欲していた彼に対して、言葉通り、私は何もしてあげられなかった。仕事でほとんど家におらず、家にいても狂ったようにパソコンでニュースを追いかけ続け、仕事の遅れを緩和できるのかとおもっていたのか、必死に食らいついていた。今おもうと、その頃にはとっくに気がおかしかった。冷静に考えて、ニュースを探したところで何も得られるものはないのだから。それほどに冷静さを欠いた状態であったのであろう。彼には本当に申し訳ないことをした。どのようにお別れしたかも認識できていないほどには、当時の記憶は薄い。それほどに、私が彼に手を差し伸べてあげられていなかったのが明確である。
心細かったであろう、打ち解けなさに苦しんだであろう、わかってもらえないつらさで憤っていたであろう、私の愛を試す度に惨めにもなったであろう。受け入れられたり、知ってもらったり、見てもらったり、思いやりや配慮を感じたり、安心したり、気の置けなさや調和を感じたかったであろう。彼が心を満たすきっかけを与えてあげられなくてごめんね。彼からいただいたいくつもの手紙を普段持ち歩き、何度も繰り返し読み返したことだけは覚えている。彼からは「相手を大切にする」気持ちと行動を学ばせてもらった。本当にありがとう、たくさんの愛を受け取っていたよ。お別れしてからも傷つけてしまったことに赦しを請いたい。
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ただ、私たちは、お互いに SOUL MATE ではなかったので、遅かれ早かれお別れしていたことになっていたとはおもう。なぜなら、私は彼の前では、自分の殻を破れていなかったから。採用が決まった時に、彼がよろこんでくれるどころか、強いショックを受けていたことがよほど堪えていたのかもしれない。相手を前にすると、力んだ心身が自然と溶けるようになるのが SOUL MATE だと感じている。三歳年下であったこともあってか、彼の前でも力んでいたようにおもう。もっとがんばらなきゃ!あ、これは言えない、彼ががんばってるから、、言うと傷つくかもしれないから、となっていた。思いっきり素の愛華ではいられず、役割を手放せなかったのであろう。言うまでもなく、これは彼が原因ではなく、私が原因であり、自分自身の心とつながっていなかったからであるが、そのタイミングで出逢っているということ自体が、SOUL MATE ではない証なのだろうと確信している。彼は、私を開花させるために、私の人生にひょっこり現れてくれたように感じる。彼にとって、私の役割は苦しみを和らげるクッションだったのかもしれないね。実際には、私が彼に大きな苦しみを与えることになってしまったので、見当違いかもしれないね。どういう役割だったのだろうと気になるところではある。
ひとりひとりが SOUL MATE と出逢い、共に手を取り合う中で、それぞれの痛みを和らぎ合い、よろこびをひとまわり大きなものにし合い、心に余白を生み合い、心身がほぐれ合うように解き放たれることを願って。
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一年弱で二度の引越。三人目のパートナーや一人旅での少女との出逢い。
その後、年が明けて引越。東京にいる間に、西麻布から麻布十番、中目黒、中目黒と三度に渡たり引越しをした。当時から“暮らし”に重きを置いていた私は、“自分の家よりも帰りたくなる家”をコンセプトにし、部屋をできるだけシンプルにデザインしていたほどには、居心地の良さと愛のあたたかさを追究し、家賃が高くとも、家の中で安らぎやすく過ごせる時間が長くとれることを重要視。最後に借りた家が最も気に入っているのだが、25平米で16万円を越えていたのには驚愕である。高架下が栄えてからはさらに値上がりし、家賃だけで18万円ほどになっている。土地代とはなんなのであろうか、と不思議におもう。今なら、そのお金で田舎で身の丈にあった家と畑を借り、必要な分のお野菜を作ろうと考えるであろう。物の価値というのは、ある価値観しか知らず染まりきっているときには、視えてこないものだなあと改めて。
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今振り返ると、どこにそんな余力があったのか不思議でならないが、当時はいろんなスタートアップで励んでいた人との出逢いや交流が本当に多かった。自然としていたことであったり、自分のわくわくと直結していたので、むしろ気が休まっていたのかもしれないね。ただ、HSP な私は人が多い場所は苦手で、一通りご挨拶してはすぐに立ち去るを繰り返していた。幸運なことに、どこに顔を出させていただいても存在を覚えていただきやすかったため、たくさんお誘いをいただけた時期ではあったが、生き急いでいたあまり常々時間の足りなさを感じていた私は、自分が惹かれてもっと話したいとおもう人からのお誘いだけを受けるようにしていた。
麻布十番へ引越してから数ヶ月後の GW、三年弱お付き合いする三人目の彼氏となる人と巡り逢う。当時最競合社の人にはなかなか巡り逢えないことをある会で漏らしたところ、知人が気を利かせて集いに招いてくれたのだ。彼とのお付き合いがはじまるのは出逢いから二ヶ月後になるのだが、そこに至るまでは少女マンガのような話があった。熱心に熱心に想いを伝えてくれて、お受け止めします、という形ではじまる三度目の春。懐かしいね。私は一緒に暮らしを共にしないと相手の本質は視えにくいと捉えていたので、お付き合いをはじめた日から、麻布十番の家を放置し、中目黒に移り住んだ。料理好きな彼は手の凝った美味しいパスタやカレーを振る舞ってくれたね。彼氏にしても会社にしても、直球で熱心な好意に心動かされれやすい。
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それから間もなくして、二社目を辞め、東南アジアへバックパック一人旅。東京で出逢った人たちの刺激を受け、それまで海外にほとんど行ったことがあまりなかった私は劣等感を抱いていた。よし、とりあえず行ってみよう!で、Singapore, Malaysia, Thai, Shanghai へ。飛行機にすらあまり乗ったことのなかった私は、空港へ足を運ぶだけで、荷物検査やゲートで待っているだけで、どきどきしっぱなしであった。ようやく機内に搭乗し、落ち着かない気持ちでそわそわしていたところ、前に座っていた小学生の女の子が後ろを振り向いたことに気がついた。ん? どうしたのかな? とおもいニコッとしたところ、彼女はとてもよろこでくれた。毎年サムイ島に家族旅行に行っている彼女は飛行機内での時間が退屈とのことであったので、文通を提案。「○○ちゃんのこと知りたいな、教えてほしいな」と記し、お名前や好きなこと、興味があること、感じていることを次々に書いて見せてくれた。五時間半ほどの空の旅は彼女のおかげでたのしくあたたかく、緊張がほぐれ未知の地を駆け巡る準備をさせてくれた時間となったようにおもう。鶴の恩返しのように、相手を想って取り組んだことは自分への贈り物となるなぁと深く体感した。
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おかげ様で、リラックスし大いに羽ばたき各地を満喫。塞がれていた心が一時的に解かれた。劣等感はすぐに泡となり消えたのであった。が、その際に次なる扉に導かれることに。全然話せない聞き取れない苦痛を感じ、苦手だった英語への劣等感への意識が芽生えたのであった。また、行く先々で出逢った日本人の友人とはご縁が深く、マレーシアに駐在していてお世話になった愛おしい友人と大学時代の友人をご紹介して恋(結婚)のキューピッドになったり、シンガポールで一緒にはしゃいだ人が妹の大阪初詣友達になったりと、今でもなにかしらの形で交流があるのは趣深い。またいつかそれぞれと交われることを願って。
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