これがスピリチュアルってやつ?(番外編)
こんにちは!
前回投稿した<これがスピリチュアルってやつ?①>を読んでいただき、
ありがとうございます。
続編にて私の人生の振り返りを書こうかと思っていたのですが、「誰が興味あんねん!」という言葉が脳内でリフレインしていたので、読んでも読まなくても本編にさして影響のない<番外編>として、己のアタマの整理のために書かせていただきました。
最初にザっとスクロールしていただいて、「長っ!」と思ったらスキップしてください(゜_゜)
それでは<これがスピリチュアルってやつ?(番外編)>スタートです♪
<番外編>
愛のままにワガママな0~21歳
私はひとりっ子として平成に切り替わる3年前にこの世に生を受け、子育て初心者の父と母から、手探りのしつけと溢れんばかりの愛情を一身に浴びて育ちました。
私は、毎日自由気ままに、やりたいことがあれば「やらせてくれ!」と言い、欲しいものがあれば「買ってくれ!」と言いながら、愛のままにワガママに大人へと成長していきました。
中学高校は、地元の公立中学の制服がダサいという理由だけで私学へ進学し、女子校という環境が合わず高校2年生で不登校気味になり(ギリギリ卒業した)、英語大好き(というより英語しか点が取れない)だった私は外大(の短大)へ進学し、交換留学を希望していたけどハードルが高すぎて諦め、「予備校の先生になりたい」という思いを持って、なぜか予備校ではなく大学院医学部の研究室で実験助手の職に就きました。
理由は、予備校の先生は専門科目の知識以外にも色んな経験を積んでいる人のほうが、その経験から得た知識を上乗せして生徒により魅力的な授業を提供できると、ECC予備校に通う私は確信していたから。
そんな理由で、超文系女子の私は超理系の仕事に就くことになりました。
どんな仕事をしていたか簡単に言うと、かの有名な小保方さんと同じ実験手技を主に担当していました。(そのため、あのニュースを見たときは"多少みんなやってるんじゃない?"という感想でした。もちろん、<偽装>ではなく、研究結果に説得力を持たせるために"見やすくする"ということです。)
自分で言うのもなんですが、無知からスタートした私の助手ライフは、ジャーナルにテクニシャンとして名前が載り、他のグループからプロジェクト参加のお声が掛かるまでに成長し、華々しく幕を閉じたのでした。
職務経歴が色とりどりな23~30歳
「この仕事が天職かもな~」という思いを抱えながら、当初から予定していたカナダ留学の時期が到来したため、約10ヶ月間の長い長い旅に出ることになりました。
カナダでの生活は語るべき出来事が多すぎて、泣く泣く省略します。
留学中にはTESOLという日本でまったく流行らなかった資格を取得し、日本で英語の講師になるはずでしたが、「あれ?日本で日本人が日本人に英語を学ぶメリットってなんだ?予備校の先生になると思ってたけど、10ヶ月の留学生活で受験英語なんて(ネイティブ英語と全く違う)全部忘れたぞ、、」という状況に陥り、英語の先生という職業はどこか遠くへ去っていきました。(帰国後、やっぱり母国語をマスターせねばと思いつきで日本語教師養成講座420時間を修了したのは消したい記憶、、、)
10ヶ月のカナダ留学を経て私に残ったのは、空っぽの貯金口座と「海外が好き」という思いだけ。そこからは、とにかく一人旅をする旅費をせっせと稼ぐ目的のためだけに2、3年で転職を繰り返し、それでも何となく興味のある業界に傾いていくようで、専門学校の広報に始まり、企業の立ち上げ部署でHPやDMの企画に携わり、最終的にはWeb制作会社でディレクターというポジションでしばらく落ち着きました。
一心不乱な31~35歳
ディレクションの仕事は最高に楽しく、超絶ブラックではあったものの数年間ずっとランナーズハイのまま走り切りました。
そんな楽しいディレクションのお仕事の中で、心底嫌だったこと。
それは、「何のお仕事されてるんですか?」と聞かれたときに「Webディレクターです。」と名乗ること。(いやいや、どの口が言うとんねん!)と内心突っ込まずにはいられないほど恥ずかしかった、、
なので私はいつも「HP制作の企画です。」とか「進行管理です。」と答えてました。今思えば、ディレクターとして自信がなかったのだと思います。
この業界、若くて優秀な方々が五万といて、その中で既に30代半ばに差し掛かっていた私は日々死ぬ気で仕事に身を捧げていながら、知らず知らず自信を失っていたのだと思います。
目から血が出るほどパソコンを睨みつける毎日を送る中で、同僚だった夫となんやかんやあり結婚することになりました。(省略が雑)
夫と同じ職場という環境だけは避けたかったのと、当時の私はディレクターとしての自信を維持することが難しくなっていたこともあり、その制作会社を退職することにしました。
主婦もパートも立派な職業36~37歳
働くこと以外で自分の存在価値が見いだせない病にかかっていた私は、結婚して無職となり、すぐに新しい仕事を血眼になって探し始めました。ニートである自分が嫌で、新婚早々心の余裕を無くしている私に幼馴染の友達が「AIKAはニートじゃないよ。主婦やん。」と言われ、目から鱗がこぼれました。35年間独身で仕事しかしてこなかった私は、お金を稼ぐことだけが「職」だと思っていました。
主婦も仕事なのか、お金を稼がなくても、お勤めしなくてもニートじゃない~~~~~~~!!と、まるで魔法のランプの精が自由を手に入れたような感覚になりました。
そこから私は求職活動もせず7ヶ月間、専業主婦という与えられた称号を誇らしげに抱えて、文句ひとつ言わない優しい夫のもと、子どもの頃のように自由気ままな生活を送りました。
さて、7ヶ月も支出だけの生活を送っていると、さすがにお金がなくなってきたな(当たり前)とのことで、仕事探しを始めました。
条件はただ3つ。
①前職の経験を活かしたい。
②パートがいい。
③ブラックは嫌だ。
さぁ、たっぷり休んだ!根気よく求職活動するぞ!!と、鼻息荒く意気込んでいましたが、あっさり決まりました(゜_゜)
企業や大学のHPやパンフレットを制作する会社でのアシスタントディレクターです。
一応主婦だし、ほどよく働きたいということでパートを選んだのですが「パートタイムジョブ」ではなく、時給のフルタイム契約となりました。
ただ、クライアントが大手ばかりで、地域密着の小規模な制作会社にいた私としては大興奮が止まりませんでした。アシスタントとして少しでも関われていることが嬉しくてたまりませんでした。
また、前職での経験上、ディレクターがアシスタントに何を求めているかを理解することができたので、先回りして自分で計画を立て、非常に平和にお仕事ができていました。しかしながら、ここでまた私のワガママが炸裂。
「もっとやりたい」願望が出てきたのです。
それを私のパートナーであった女性社員に伝えると、「私から社員登用を打診してみます!」と言っていただき少し期待していたのですが、その会社は中途採用をしておらず、返事は"NO"でした。
ということは、何年在籍してもキャリアアップもなければ任せてもらえる仕事も制限付きか、、と思うと少しネガティブ思考になってしまい、約1年で退職。
命と向き合う38歳(現在)
退職後、ひょんなことから犬を飼うことになりました。
自己紹介に書いた豆柴の『米』です。
こんな言い方をすると非常に身勝手な理由を思われてしまいますが、仕事以外で新しい変化が欲しかったんです。
過去に金魚と亀しか飼ったことのない私は、米を迎え入れる前にYouTubeで何度もペット動画を観ました。どれだけ犬を飼うことが大変なのか。とりわけ日本犬はもっと難しいとのことで多くの情報を仕入れました。それでも米をお迎えする意思は変わらず、(8割は『なんとかなるやろ』精神だった気がする)7月3日に我が家へやってきました。
可愛い、とにかく可愛い!何をしてても気になるし、超過保護状態。
もともと犬嫌いだった夫もメロメロ。
その一方で、慣れないお世話に疲労困憊したのも正直なところ。
その辺でおしっこ、うんちは当たり前。リフォームしたての畳や大切なソファーも遠慮なく汚していく。朝はケージの中のうんち処理から始まり、少し寝坊して出遅れると一人で食糞して吐いてる、、、
お散歩デビューしたものの歩かない、、などなどYouTubeで得た前知識も空しく、私は経験したことのない種類のストレス(自分が頑張ってもどうにもならない)を抱えてしまいました。これまで何とか米のイタズラから守ってきた家具を齧られたとき、私の未熟さゆえに怒りがこみ上げてしまい、まだまだ子犬の米に対して大声をあげてしまいました。
私は「育てる」「お世話する」ことに向いてない。
人間に対してそうであることは前から自覚してましたが、ペットにもそうだったか、、とため息が出ました。愛犬を毎日長時間留守番させるのも良くないと思い、仕事探しにおいても希望の職にエントリーすらできない状況だったのもストレスの原因だったと思います。
でも、そこからでした。
「米を迎えたことを後悔してる」そんなふうには絶対に思わない!と、犬とのコミュニケーションの取り方を調べまくりました。散歩仲間にもたくさん相談しました。
「わかる~、部屋中ぐちゃぐちゃになるよねー!うちも家具はボロボロだし、毎日夜中に起こされて庭におしっこさせに行くし、噛むし吠えるし大変だよね~!私も発狂しそうになったよ。でも、それでもいいって思えるようになるよ。人間と同じようにいろんな性格があるし、なにより家族だしね。」
同じ柴仲間のお友達にそう言われたとき、今まで私に備わってなかった新しいメンタルが作られたと思いました。
犬は短期記憶は苦手ですが、エピソード的記憶というものがあると言われています。
一緒に出掛けた場所や人など、大きく気持ちが高ぶったときの記憶はなかなか消えないのだそうです。だから、人間の4分の1程度しかない人(犬)生の中で、できるだけ一緒に過ごし、できるだけたくさんの景色を見て欲しいという願いで、時間の許す範囲で色々なところに米を連れていくようにしています。
今は家の中を暴れようが床を引っ搔こうが、家具を噛もうがお構いなし(いや、スルーできずに怒ってはいる)。
物言わぬ家族に「最高の人(犬)生だ!」と思ってもらうために、今日も溺愛してます。
自分は何者か
このように愛犬を生涯幸せにすると誓った私は、もうフルタイムでは働けません(笑)
米のお留守番は一日MAX4時間まで。勝手にそう決めた私は、時短勤務の仕事を探しました。
そこで見つけたのが、派遣社員のフォロー営業。要は、「次回更新しますかー?」と聞いて回る人です。
これまでと全然違う業界。興味を一切持ってこなかった仕事。
でも、条件は良かったし、大きな企業でもありました。私は、米>収入(収入は夫が担当)だったので、勤務時間の融通が利くという最大の利点によりこの仕事を決めました。
が、しかし、現実はそう甘くない。蓋を開けてみると「時短とはなんぞや」状態。毎日10時間は拘束される、週4勤務がいつの間にやら週5勤務になっている。同僚のワンオペ主婦さんは「先月の残業が117時間だった」と半泣きになっている。
いやいや、話がちゃいますやん。とのことで、マネージャーをすっ飛ばし人事に相談。そこで色々と社内事情を知ることとなり、その後は斯々然々あったのちに再び退職を決意。あっという間の半年間でした。
そして、今現在に至ります。
前職の退職が決まって以降は、結婚してから安定して仕事を全うすることができていない自分に対し、それはそれはネガティブモードで自己肯定感なんてあったもんじゃなく、「周りは結婚して"母"になったり、仕事を続けてワーカー主婦を続けていたり、それに比べて自分はすべてが中途半端で何も結果がついてきていない」と自己嫌悪の日々でした。もちろん、38年間生きていれば自信を無くしたり、自己評価が0点になったりすることは何度もありましたが、「私って一体何者なんだ?」と自分が得体の知れないものに感じたのは生まれて初めてでした。
私は子どもの頃から友人が少なく(あ、暗い感じじゃないです!全然!笑)、私生活においても仕事仲間が友人の代わりに私のメンタルを作ってくれていました。"自分が進む方向は間違ってない"、"人の役に立ってる"、"認めてもらえてる"と、常に仕事仲間が教えてくれていたのです。
ということは、無職になった途端、<ここはどこ?私はだれ?>(古っ!!)状態に陥るということ。
体幹ゼロ。自分だけで立っていられない。メンタル崩壊~そんな状態~♪
そんな自分に嫌気が刺しながらも、それでも他者を頼って自分の道しるべなるものを探しました。人は一人では生きられない、本当にその通りです。
そんなときに偶然か運命か、出会ったのが"先生"でした。
長らくお付き合いいただき、誠にありがとうございます!
正直、この<番外編>は自分のために書きました。
これまで38年間、自分が何をして過ごしてきたのか振り返りたかったのです。
もちろん、不特定の方々のお目に触れる場なので書けることしか書いてません。(笑)到底褒められたもんじゃないことも色々ありました。
ですが、自分しか見ることのない白紙のノートに向かって、過去の出来事をエピソード付きで書き倒すほどのエネルギーがなく(書いてもすぐ捨てそうで、、)この場をお借りしましたm(__)m
こんな精神状態の私が、"先生"にどんな教えを受けたのか、
またその教えが自分にどんな影響を及ぼしたのかについてを「これがスピリチュアルってやつ?②」で書きたいと思います。
もしご興味を持っていただけると嬉しいです♡
ありがとうございました!