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桜 4/4

 感覚が一緒になってしまったら、まず会話がなくなる。考えが一致しているから。次第に、言語がなくなってもおかしくはない。少なくとも発音がなくなるかもしれない。笑えない、泣けない。苦しみには、人に理解されるから、救われるものと、人に理解できないということに救われると思う。前者だけになってしまう。何を言っても頭ごなしに「分かったよ」って言われる。次第に口が退化する。ものを食べるためのみに使われるようになる。どれだけ好きな人ができても、きっとキスというものは概念として消滅するだろう。まあそんなことはどうでもいいという人もいるだろう。

 でも、感覚の一致による遺伝子的な一致が始まってしまうと、大問題になると思われる。環境に適応出来なくなる。この適応とは、個体の中での適応ではなく、いくらかの個体は、屍になろうとも、種としては存続するというものである。よって、人類は滅亡に向かうことになるかもしれない。可能性は突然変異を加味するから専らないと思うのだが。

 だから、多文化の違いを受け入れ、和洋折衷としていいところを抽出して自己の物としていくことは、問題ないと思うしそういう姿勢には模範的なところもある。でも、なんでも受け入れるのは違う。これをいうと、多くの人はわかっているという。そういう人ほどできていない人を見たことがない。そっかーっと思って気を付けようという旨をいう人ほど既にできている人はいない。

 でも、結局は自文化を大切にしていきたいし、そうして欲しい。このことを、ずっと頭に置いておくことは、窮屈だろうから、片隅に、そういやあんなこと言ってた人いたな。ぐらいに思っていてほしい。

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