私は私を救うんだ
「私は私を救うんだ」
先日Amazon Primeで公開された“映像研には手を出すな”のエピソード8のタイトル。
ただいま2回目視聴中。学園ものアニメを40歳手前になって〜なんて思っていたけど、これがなかなかアツイ!自分の高校時代はまぁまぁ暗黒期だったので、キラキラ青春とかとは全く無縁。高校時代に戻りたいなんて一度も思ったことがないけど、こんな高校時代だったら、ちゃんと青春しなおしたい。アニメーション制作に懸ける女子高生の純粋な情熱にグッとくる。今ならプライ会員は無料で視聴可なので是非!
それはさておき、昨年(2020)末から絶賛自分潜水調査中のことについて書いてみようかと。
本日も、その一環でリーディングセッションを受けた。
みっちり1時間、自分の本来の姿とか、今世でのテーマとか、今私が抱えてる詰まりみたいなものを見ていただいた。リーディングセッションが終わった後、読んでもらった自分に関する情報がなかなか膨大で、咀嚼反芻しながらしばらぬ少しぼーっとしていた。その時、リーディング前に見ていた“映像研には手を出すな”のEP.8のタイトルが目に飛び込んできた。「私は私を救うんだ」これがズシンと胸に刺さった。
自分潜水調査
自分ってどんな人間なんだろう。自分には能力があるんだろう。確か16歳〜18歳ぐらいの多感な時期、そんなことをよく考えていた記憶があるけど、その頃の自分に戻ったよう。そんな自分クエストの気持ちなんて、青臭いような気がして最初はちょっと小っ恥ずかしい感覚もあったけど、何故か40歳を目前にして、どうしてもこのテーマを避けて通れない気がするのだ。
今まで歩いてきた自分の道を振り返って、その道が間違っていたとは思わない。でも、人生の折り返し地点に差し掛かかり、これから先の今ルートを眺めた時、本当にこのまま進んでいいの?進みたいと思ってる?そんな疑問が湧いてきて、立ち止まって悶々と考え始めたのが3年ほど前。悩み始めると沼はどんどん深くなり、もう今までの道にももどれないけど、これから進む道もみつからない八方塞がりになっていた私。それが、グレコンを経て、星読みと出会い、そこから自分を知る楽しさという別の沼にハマってしまった気もするが楽しいから良しだ。
私の声を聞かない、言いたいことを言えない私
深く自分の中に潜るために、占星術、エンジェルリーディング、カードセッション、パーストーンブレス、チャクラ/オーラリーディングなど、色々なツールで色々な方に助けてもらいながら自分を紐解いてく。すると、往々にして自分がいかに自分の声・直感を聞いていなかったことに気がついた、というか、自分の声を聞いてあげてとたくさん言われた笑。直感では聞こえているのに、社会生活とか、一般常識というイヤホンを通してしまっていたがために、自分の直感をノイズとしてノイズキャンセリングしてしまっているような感じなのかもしれない。本当は逆をしないといけないのに笑
noteを書き始めたのも自分潜水を始めた頃。自分の声を聞けないのと、もう一つ必ず出てくるキーワードが「言いたいことが言えていない」ということ。第5チャクラ、ノドのところにあるチャクラなのだけど、そこの流れが悪いと。エネルギーワークの瞑想で自分の中に入っていった時も、胸の辺りではウキウキ楽しかったのに、なぜかこのノド元に来ると閉じ込められている感覚なって苦しかった。長年悩まされてきた偏頭痛の原因の一つもそこにあった。noteを書き始めた当初はあまり意識していなかったけど、頭中で考えて言葉にしていないことをここに書き留める。それが「言いたいことが言えない自分」を突破するための一つの手段として、無意識に選んでいたのかもしれない。
自分と繋がる
そんなこんなで、少しずつ、今、私は私と繋がろうとしている最中。
↑愛聴しているホニャララライブのNOMAさんがご出演された回でも出てきたけど(期間限定配信かもだそうです)、自分という小宇宙と深く繋がることが、地球や宇宙と繋がることになる的なことをおっしゃっていたような。(まだ1回しか見ていないのでうろ覚え…もう一回拝聴しなければ)自分という小宇宙と繋がることは、私にとって癒しになっているし、安心できる場所を見つけることができそうだ。
これまで当たり前と思って歩いてきた道は、社会的で一般的な道。それが、なぜか突然、つまらな道なってしまい、進みたくなくなってしまった。きっとこの世界のどこかにワクワクする道があるハズ。けど、それがどこにあるのかわからない。どこを探していいのかもわからない。だからとりあえず他の人の世界をのぞいて、自分の進みたそうな道を他の誰かの中で探していた。それは私の中の羨望と不安を増長させ、自分を傷つけるばかりだった。
探す場所が違ったのだ。自分の進みたい、ワクワクする道は自分の中にあった。自分の中を探すのは、恐れも少しあるけど、その先に深い癒しと、安心してくつろぐことができる場所があった。誰かに少し手伝って貰ったり、導いてもらうことも必要だけど、私を癒し、私を救うのは私なんだ。
私のワクワクする道は、まだ少しぼんやりしているけど、もっと自分を理解して、自分の声に耳を傾けて、だんだんクリアにしていくその過程が楽しみにもなってきた。道が見えてきたら、今度はその先に何が見えるのだろう?