🌕愛が呼ぶほうへ🚀
これは私が因島という場所で9年間過ごした想い出とそのあとの15年後を記録した自分史である。
多少の著作物の懸念はあるが、今回はこのまま掲載して作品を世に出すためのあり方を学びの場として発信していく。
ここからのストーリーはノンフィクションです。
東京都八王子市で生まれた女の子が、保育園卒園後、因島に引っ越しひたむきに生きていく人生を描いたものです。
是非ご覧ください☺️
地元の先輩であるポルノグラフィティさんが因島凱旋ライブに招待してくれたお礼と、会場全体で歌った「愛がよぶほうへ」をまた一緒に因島で歌いたいです!
小学1年生の時、父の実家である広島県の尾道市の中にある因島に9年間住んでいました。
小学校5年の時、当時の広島県因島市(いんのしまし)が尾道市(おのみちし)に合併することが決まりました。ふるさと因島(いんのしま)を忘れないで欲しい」と市内の全学生を既にメジャーデビューしているポルノグラフィティさんが凱旋ライブに招待してくださいました。会場全体で「愛がよぶほうへ」を歌う企画があり今でも聴いている大切な曲です。
進学を考える時期になり、因島に残るか東京に戻るか選択が迫られていました。
とにかく走ることが好きだった私がいつしか走ることが苦しくなり、9年間過ごした因島から逃げたいと思い始めて結局は東京に戻る決断をしました。
進学した当初、帰る方向が同じクラスの子に「どこの中学校」と聞かれ、「広島から来たんだ」と言うとポルノグラフィティのファンだと教えてくれてそれがきっかけで仲良くなれました。
大学ではやりたかったトライアスロンにチャレンジし、全国大会へ3回出場することができました。
社会人になり、小さい子と関われる学童クラブ、児童館、保育園で働きながら保育士資格をとりました。
成長を見届ける楽しさとやりがいを知りました。
今後、子どもたちの可能性と成長を応援できるような場所を因島につくりたいと思っています。
つい最近ゴールデンウィークに住んでいた三庄町に15年ぶりに帰りました。
懐かしい折古ヶ浜で海を見ながらYouTubeで愛がよぶほうへを聴きました。
保育士となった今。
いつしかカタチに残したい。
困っている人を助けたい。
一緒に考えていきたい。
そう思うようになりました。
お力をお貸しくださいますようお願い致します。