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人生は本当にゲームなのか

ま『掃除をしていたらこんなものが出てきたよ』

ぴ『お〜、人生ゲームだ。このルーレットの回る音、たまんないよねぇ』

ま『小売店のホビーコーナーを見てみても、色々なテーマの人生ゲームが発売されているね。普通のタイプの他に、逆転要素が強かったり、キャラクターとコラボしてたりと、人生ゲームも幅が広がったよね』

ぴ『このゲームさぁ、すんごい理不尽だよね』

ま『理不尽?』

ぴ『ツッコミどころが多いっていうか。だって、ちょっと転んだだけで3000ドルとか無くなるんだよ。転んで30万円って、ヤブ医者かよ』

ま『まぁ、元々は億万長者を目指すゲームだから。「転んだので絆創膏を買った100円払う」とか「給料日20万もらう」とかのマスしかなかったら、それこそ鳥取砂丘全体を人生ゲームのマスにするくらい広げないと、攻略できないんじゃない?』

ぴ『職業もルーレットや止まったマスによって決められちゃうし、結婚や家族もそう。なんか、自分の意思が反映しづらいゲームだよね』

ま『まぁ、アナログなボードゲームの特性上仕方ないかもね。コンピュータゲームで発売されてる人生ゲームは、わりかし昔の物の段階で、プレイヤーの見た目であったり、就職時の職業選択性、誰に告白して誰と結婚するかみたいなところは自由度があったよ。その分、1試合のプレイ時間は長くなるけどね』

ぴ『まえくんはさぁ、人生ってゲームだと思う?』

ま『ん〜、そうだねぇ〜。人生全てをゲームであるとは考えてないかな。生きてく中で、ゲーム的な部分もあるし、ゲーム的な思考でやり過ごすこともあるけど、全部が全部ゲーム感覚ではないね』

ぴ『じゃあ、どんな時に「今ゲームしてるみたいだなぁ」って生きてるの?』

ま『すんごい大袈裟な聞かれ方やな。まぁ、1番頻繁にくるのは「会社で人員配置してる時」やな。あれはもうカードゲーム感覚そのものやし、むしろそれで培ってきた思考力を買われて現場で任されてる感もあるな』

ぴ『人員配置がカードゲーム?』

ま『おう。「この機械の点検はこの人、この機械の整備はこの人」って、その日のシフト見ながら割り振りを当ててるんやけど、まぁ、「相手のどのカードを、自分のどのカードで処理するか」「自分がどうカードを配置しておけば、相手のアクションに即座に対応出来るか」ってことと一緒やからな』

ぴ『人や機械をカードと思ってるんや』

ま『あくまでも、現場を俯瞰的(ふかんてき)に見てってことやで。人や機械も、所詮は「どういう能力を所持しているか」に過ぎないんやから。性格や思考、行動パターンなんかも加味した上での配置をして、あとは現場の状況に合わせてちょこちょこ配置を弄れば良いだけ。もう、カードゲームやパズルゲーム感覚そのものね』

ぴ『ふ〜ん。他には? 人生ってゲームだなぁって思う瞬間』

ま『他にかぁ〜』

ぴ『イカ2貫?』

ま『ゆーてないゆーてない。そうやなぁ、運否天賦の事象には、サイコロ振ったくらいの感覚ではいるけどね』

ぴ『うんぷてんぷ?』

ま『「あ〜、今回の運の良し悪しは、天の神様によって決められたんやな」って感じることが起こったときやね。「あれ? これ当たったのか、ラッキーやったな」とか「うわー、ツイてねー。けどどうしようもないか〜」ってとき。これはもう、データプログラムのランダムによるものと考え方は同じだから。仕事なんかでも、俺自身である程度の確率は寄せることが出来ても、最後は外的要因によって決められる事柄については、「あーもう神様そーするんすね」「今日はそーゆー設定なんですね」って思うようにしてる。どうしようもないことに、いちいち時間取られるのも癪(しゃく)やし。そこで悩んで進まない方が非効率的やから、自分が直接的な原因でなければ、さっさと次の行動に取りかかるね』

ぴ『へぇ〜。まえくん一応は優しい性格やから、全部に真剣に最後まで向き合ってるんかと思ってたわ』

ま『学生の頃とか、仕事も若手の時とかなんかは、ひとつのことに思いっきり向き合って集中して解決するのも良いと思うよ。でも、ある程度上の立場になると、抱えるもんや選択することが増えてくるんよ。そんな時に、真面目にひとつずつ丁寧に解決しようなんて土台無理な話なんよね。だから、ある程度は「はい、これはこう」「これはもうしょうがないから、こうしましょ」って割り切ることが大切。ゲームでも、一度コマンドを選んだら、そのコマンドに沿ってストーリーが進んでいくでしょ。後戻りする余裕なんて、人間にはそもそも備わってないんだよ』

ぴ『なるほどねぇ。じゃあ、ちょっと仕事のことは置いといてさ。この、人間が生まれてから死ぬまでの「人生」そのものを、まえくんはゲームだと思う?』

ま『思わないね』

ぴ『それは何で?』

ま『人生をゲームに例えることはできても、所詮ゲームはゲーム。過去を振り返って「ゲームのような人生だった」とは言っても良いと全然思うけど。人生は、その個々人の生き様は、何物にも当てはめることはできない「物語」であると俺は思ってる』

ぴ『ゲームと物語は違うの? ぴちゃんは似てると思うけど』

ま『ゲームは、他人の作ったプログラムの中で、自分を表現すること。物語は、この世界の中で、自分を表現してきたこと。まぁ、世界にも、大小問わず様々な「社会」というルールは存在するけど、選択肢の数が違うってのが大きいところだよね。この、他者の介入量がゲームの世界と人生とでは大きく違うでしょ。ゲームの結果(リザルト)を振り返るとき、他人が何を考えてどうしてたなんて表示はされないけど、ある程度の選択肢や思考回路は読むことができる。一方、この世界を生きてて、目の前の人が左右どちらに曲がるか、猫が左右どちらに進むか、鳥が、ボールが、天気が、どうなるかなんて分からないじゃん。囲碁してる途中に、猫が乱入してくるなんてのは、現実世界かサザエさん家でしか起こりえないんだから。プログラミングされたゲームの世界ではありえないよね、そんな理不尽なゲーム売れないんだから』

ぴ『その、何だろうな。自分と相手以外の、たくさんの登場人物や出来事を含めて、自分の物語になるんだね』

ま『そう。ゲームは人生の中の一部に過ぎない。人生には、ゲーム要素もあるけれど、そんな単純な道理に進むことでもないってことやな。まぁ、人生を楽しむために、ゲーム脳は必要な感覚ではあると思うけどね』

ぴ『なるほどねぇ。最後に一言いい?』

ま『いいよ』

ぴ『クルクルクル〜、ピタッ! 「まえくんの長い話を聞いて疲れた。まえくんはぴちゃんに100万ドル払う」』

ま『おうおう、理不尽なゲームやで』

#3分間の暇つぶし   #ぴちゃんとおはなし 

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