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日本の持続可能な未来人口:約3,000万人の真実 II

 皆さんは『植物の三大栄養素』が何か即答できますか?

 私が小学生の時にこれを習ったので、まさか私の会社の社員がこれを間違えるとは思ってもみませんでした。しかし、周囲の五人に質問してみたところ、正解率は0%でした。最初は彼らがジョークで答えているのだと思いましたが、実際には本当に理解していなかったようです。間違った回答の実例をいくつか挙げます。

質問:植物の三大栄養素は何ですか?

回答1:『水、空気、太陽ですね?』
回答2:『水、二酸化炭素、光ですか?』
回答3:『水、堆肥、農薬ですか?』

 確かに、植物の成長には水、二酸化炭素、光源が必要です。ところが、これらは必須要素ではありますが、栄養素ではありません。したがって、上記の回答はすべて間違いです。

正解:#植物の三大栄養素は、窒素(Nitrogen, N)、リン酸(Phosphorus, P)、カリウム(Kalium, K=Potassium)*カリウムはドイツ語で、ポタジウムが英語表記です。これらは、植物の健全な成長と発育に不可欠で、一般に『 #NPK 』として知られています。園芸店やホームセンターで販売されている化学肥料や液体肥料には、このNPKの比率や濃度が明記されています。

植物の三大栄養素の主な役割

窒素(N):葉の成長を促進し、葉緑素の合成と光合成の効率を高めます。

リン酸(P):根の発達、種子や果実の形成、エネルギーの転移や貯蔵に関与します。不足すると成長が遅れ、根の発達が悪くなります。

カリウム(K):水分調節、光合成、光呼吸、タンパク質合成に関わり、病害への抵抗力を高めます。根の発達や花の質の向上にも必須です。

 植物にとって必須の元素は他にもあります。炭素、水素、酸素、窒素、リン、カリウム、カルシウム、マグネシウム、硫黄の9元素は多量に必要とされる『多量要素』と呼ばれます。対照的に、ホウ素、マンガン、鉄、銅、亜鉛、モリブデン、塩素、ニッケルの8元素は比較的少量で済む『微量要素』と呼ばれます。

#クロロフィル #葉緑素 )には、クロロフィルa, b, cなどの種類があり、基本形のクロロフィルaの分子式はC55H72O5N4Mgです。これは、光合成に必要なクロロフィルが炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)、マグネシウム(Mg)を含んでいることを意味し、マグネシウムが不足すると光合成が行えないことを示しています。

明治維新以降、日本の人口が急激に増加した主要な原因

 多くの人が、農業生産の向上、工業化による経済発展、医療技術の進歩と衛生状態の改善、平和な時代の到来、家族構造の変化と出生率の増加などを人口増加の原因として挙げています。これらの要因も間違ってはいませんが、根本的な理由からは少しズレています。

 実際には、明治維新以降、日本の人口が急増した主な理由は、化学肥料や油脂植物の絞り粕などの輸入拡大によるものです。化学肥料や食料の輸入量が増加しなければ、日本の人口の上限はおよそ3000万人程度だったとされています。

 肥料や肥料原料輸入量のデータを見れば、肥料原料輸入量と人口増加率の密接な関係が明確になります。経済発展が人口増加に与えた影響は、工業化そのものが直接的な原因ではなく、工業化を通じて得られた外貨により、肥料原料、化石燃料、食料、家畜飼料などを輸入する能力が向上したという点にあります。つまり、国の購買力の向上が鍵となります。日本が加工貿易国として栄えた歴史を持つ一方で、世界には金融立国、観光大国、資源輸出国など、さまざまな形で栄えた国があります。つまり、人口増加に欠かせない要因は、国家が工業化できるかどうかとは関係が無く、どのようにして食料や水を確保するかという点です。

農業生産性を高める上で重要な植物の栄養素は何か?

 冒頭で触れた通り、窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)が植物の三大栄養素に数えられます。これらの中でも、窒素肥料の重要性が特に強調されるべきです。 #マルサス #人口論 が見落としたのは、彼の時代には #ハーバーボッシュ法 による #アンモニア からの窒素肥料製造が考慮されていなかったことです。この方法により、空気中の窒素と石炭や天然ガスから得られる水素を用いてアンモニアが製造可能となり、 #尿素 #硫安 などのアンモニア系肥料の生産が実現しました。これにより、マルサスの食料生産に関する限界に基づく人口増加の予測は現実とは異なるものとなりました。

日本におけるアンモニア系肥料、特に硫安の消費背景

 日本のコメ生産量は1960年代に1400万トンを記録した後、2020年代にはピーク時の約半分である700万トンに減少しています。日本人のコメ消費の変化については多くの分析が存在しますが、ここでは日本における肥料消費の変遷を通じて、100万トンがどれほど大きな量かを理解していただくことを目的とします。

出所: 農林省資材部編「肥料要覧、昭和 15 年」

 1912年から1940年の間に、日本の硫安の国内消費量は91,913㌧から1,201,993㌧へと13倍以上に増加しました。この事実から、日本が3000万人以上の人口を維持するためには、大量の肥料や食料を輸入する必要があることが明らかです。そうでなければ、持続可能な人口の上限は約3000万人となり、それ以上の増加は見込めないという単純な論理が導き出されます。

本邦の窒素化学肥料歴史(戦前編)
19 世紀末まで、本邦の農業はいわゆる自然循環農業といわれ、町の人糞尿から山林の下草まで収集して肥料にするなど徹底していた。それでも食糧不足で、3,000 万人以上を養えず、平均で 5 年に一度の頻度で飢饉があった。明治維新以降、資本主義経済を基調とする工業化の道を歩みはじめた日本は、1890 年代から 1900 年代にかけて産業革命を遂行し、日露戦争後の 1910 年頃に資本主義社会の成立をみるに至った。産業革命のおかげで、本邦の人口は、1872 年(明治 5 年)の 3,480 万人から 1892 年(明治 25 年)の 4,051 万人、1900年(明治 33 年)の 4,436 万人に急増し、食糧の供給が重要な問題となった。肥料、特に窒素肥料が農作物の収穫に必須不可欠であることは当時の農学者だけではなく、政府関係者も重々承知していた。
本邦の化学肥料の使用は 1884 年(明治 17 年)過りん酸石灰とりん鉱石を試験輸入した時に始まる。そして肥効が著しかったことから 1887 年(明治 20 年)東京人造肥料会社(現日産化学)が創立され、東京で過りん酸石灰の生産を始めた。その後、海外から硫安、石灰窒素、アンモニアの製造技術を次々導入し、化学肥料の国産化に力を入れてきた。

『化学肥料に関する知識』 BSI 生物科学研究所

肥料技術の現在・過去・未来(2) 
我が国の窒素質肥料の歴史,様々な視点から見た肥料,そして未来を考える
(中略)
2)我が国の窒素質肥料の変遷
江戸時代から続いた下肥,菜種粕,魚粕に代わって,明治時代から昭和初期の硫安の生産開始までの間,窒素質肥料の主役に躍り出たのは豆粕であった.日清戦争の勝利により満州から大量に輸入されたのである.
当時の世界の主力はチリ硝石であったが,水田が多い我が国では,用途が限定されることから,市場は比較的窒素成分の高い豆粕を選択した.この時代に現在の大手総合商社の台頭や国内流通の主役を務めた国内肥料商の今日につながる流通基盤が形成された.この豆粕の輸入には,相場変動が激しく大きなリスクを伴うことから1910 年東京大豆粕商連合会が設立され,紛争処理の解消にあたった.この結果,豆粕の取引制度は最も信用できる商取引として確立された.
この豆粕黄金期に化学肥料需要を創出する大きなきっかけを与えたのも戦争である.日清戦争(1894~1895 年),日露戦争(1904~1905 年)により豆粕の輸入が途絶え,加えて鰊の不漁により魚粕も減少したことにより化学肥料の需要が一気に広がった.加えて,爆薬の原料として不可欠な硫酸の需要が戦争終結とともに一気に消失し,その供給過多が過リン酸石灰を中心とした肥料産業への新規参入の呼び水となった

日本土壌肥料学雑誌 第89巻 第2号 (2018)

武智倫太郎


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