宮城県は石巻出身の友人は、陸上部でとびきり足が速かった。大学時代、私たちは二人でよく酒を飲んでは将来の夢について語り合った。
本当にしたいことは何なのか。生涯を通して何を達成したいのか。何者になりたいのか。
「ぜっんぜんわかんねえ!そもそも夢を達成してる大人が周りにいねえじゃんか!」
いてもたってもいられず駅前に向かい、出会う大人たちに片っ端から「夢達成しましたか?今楽しいですか?」なんて聞き回ったりもした。
卒業間近のある日、道端で会った彼は大きな声で私に向かってこう叫んだ。
「ひろ、決めた。オレ地元で特別救助隊になるわ!人の役に立ちたい!」
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12年前の震災の日、彼は住民の救助に向かい、そのまま行方不明となった。
私は震災の数日後から彼の地元である石巻で3ヶ月間、NPOを立ち上げて瓦礫撤去を行なった。日本全国から若者たちが集まり、泥まみれになりながら作業をする毎日。
震災から1ヶ月ほど経ったある日、たまたま私が活動している地域の近くで友人が見つかったとの連絡が入った。北上川の側、海に程近い体育館に安置されているとのことだった。
このような形でもう一度会うのはとても怖かった。しかし、対面をし、今までのお礼とお別れを言った。陸上部、そして特別救助隊の身でありながらタバコを吸っていた友人の遺体の上には、誰が置いたのかラッキーストライクの箱が乗っていた。
体育館から出ると、一面の抜けるような青空。
遠くに見える山の上を、鳥が数羽飛んでいた。背を向けば、海。いつも通りの蒼い海に、波が打ち寄せては返していく。
体育館に遺体が並ぶ以外、何もかもが普通で、何もかもがいつも通り、自然はどこまでも美しかった。
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去る12月31日、1年の最後の日、私は友人の墓参りのために12年ぶりに石巻を訪れました。あの日以来、私にとっての自然はただ美しいだけでなく、大きく厳しいものとしても映ります。
自然の大きな大きな営みの中で、私たちは小さく小さく生きている。それは草木も虫も、動物たちも同じです。
この気づきは何も人の命を卑下するものではなく、「ああ、みんな同じなんだ。」という、ある種の理解のようなものに私の場合繋がりました。
新年一発目のインスピレーション。みなさんにたくさん伝えたいことはあったのだけれど、敢えて記憶が新鮮なうちに、大切な友人の死と、それでも変わらず営み続ける自然の美しさ、そしてそこに確かに存在する厳しいまでのフェアネスを書き留めたいと、この内容に至りました。
明けましておめでとうございます。今年はSANU Apartment、リノベーションシリーズと新しいSANUがどしどし始まります。
人と自然と向き合い、実りある一年になりますよう。
今年もSANUを、よろしくお願いします。
ホテルの未来を考える。toco./Nui./Len/CITANを手がけるBackpackers' Japan代表、本間貴裕のノート。