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善良であるということ。

「大衆の持つ正しさとは人類史始まって以来、とても不健康に生きていた人間たちの死体の山である。」

今あなたが手に持っている"それ"は

もしかしたら誰かの墓標かもしれない。

性善説と性悪説の話は一旦置いておこう。

あれは善悪の話というよりも「勉強は大事だよね、君たち勉強しないと悪になるぞ。」という学習の重要性を説いたものなので。

さて、多くの人は誤解している。

皆決まった口調でこう言うのだ。

「これが正しさです!」

「これが善意です!」

「善良とはつまりこういうことなのです!」

まるで早朝に見る最低に退屈な通販番組のようだ。

そんな血塗れの両手で大切そうに抱えた善良という名前の商品を人に売りつけないでくれ。

馬鹿と痴呆と白痴向けにそんなグロテスクな笑顔を公共の電波に乗せないでくれ。

趣味の悪いスプラッタ映画じゃあるまいし。

さて、大昔に「善良であれ」と語った偉大な聖人が2人いた。

1人は坂の上で民衆に磔にされ、最期には神にこう言った。

「おぉ!神よ!なぜ私を見捨てたのですか!」

それは君が神とやらに期待しすぎたのだろう。

もう1人は食あたりで死んだ。

彼の二度目の死は「弟子に無視されたから」

だそうだ。

そいつの前世は飢えた虎に喰われて死んだ。

結局善良とはなんだろう。

少なくとも人に説いて売り物にしたり、人を殺す為の弾丸にするべきではないということはわかる。

善良であったからと言って個人は最高の結末を迎えることができるわけでもなさそうだ。

善意はきっと、人々に惜しみなく降り注ぐ午後の優しい陽光のようなものだ。

他者を灼き殺すものではない。

ましてやそれを宣った本人も含めて。

今まで善良さ故の争いで何人死んだ?

これから何人死ぬことになるだろう?

これを読んでいるあなたはその醜い争いを生き残ることができるだろうか?

僕はこれから先、善性を以て生きていけるだろうか?

そもそも本来善性とは自他への愛情が前提だろう。

愛とは…………

いやいやいかん、前にこれについては書いたことがある。

何度も同じ話ばかりすると人から嫌われるぞ。

気をつけよう。

つまり全ての人を愛するなんてことは誰にもできないので、全ての人に善良であるということは到底不可能だ。

自分の愛した人間だけに善良であればいい。

自分を侵害しない程度に、人に優しく……

なんだか着地点がフワッとしている…

う〜ん…

煮詰まった。

さてさて!皆さん!僕と語り合おう!

善性について!

それでは!お手を拝借!!

「善良であるって一体全体どういうこと?」

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