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気づかいの「壁」

みなさん「気づかい」って聞くとどう思いますか?
私の場合は「気づかいができていない自分、あるいは他人を無意識に責める」といった、攻撃性をまっ先に感じます。

世界のトッププロがやっている気づかい
高級ホテルの接客でおこなわれている気づかい
国際線のファーストクラスのCAが行っている気づかい
茶の湯で型になっている気づかい

こんな本がずらりと書店に並んでいる。棚の前を通り過ぎると「彼らの爪の垢を煎じて飲めや」と言われているような、無言の圧力を感じてしまい、こそこそと通り過ぎてしまうのです。


社会人なりたての時は、マナーや気づかいが身についてないなぁと思うところがあったので、その手の本を読み漁ったりしました。

でも、いざやろうとすると本当にぎこちない。右手と右足が同時にでてしまうような、不自然さがありました。最終的には、相手から「大丈夫?」と気づかわれてしまう。苦笑いするしかありません。本末転倒とはこのことです。

この記憶がこびりついていて、「気づかい」には苦手意識しかありません。


「気づかい」という言葉も忘れていた、ある日のことです。

気づかいは「壁」だという本に出会いました。おどろきでした。考えたこともなかった。ただの「壁」です。「壁」は自分からは動きません。私たちが、「壁」を乗り越えたり、すこし遠回りをしたり、そっとしておこうと引き返したり、あるいは踏み入れてほしくないから自分で「心の壁」を作ったりする。でも、「気づかい」自体には攻撃性はない。読み進めていくとそんな理解が進みました。

この本を最後まで読んでも「(わたしの)爪の垢を煎じて飲め」みたいな、例の無言の圧力は感じません。必要なのは、壁をどう捉えるか。越えるのか、尊重するのかそれを判断するだけ。


面白かったので、2周3周と読みました。初めてのことでした。特に印象深かったのは、こんな一説。

気づかいとは、誰かに教わるものではなく、自分がされて嬉しいことをするということだ。

これも驚きでした。自分で決めていいのか。と。他人の気持ちになって寄り添うのではなく、自分で決めていいのかと。


ここまで読んでもし興味を持ったら、目次だけでも読んでみてください。

今までの、「自信を喪失するような、プロのスゴすぎる気づかい」はこの本にはありません。すぐできるものや、あるいは、自分がもう既にやっているものもあるかもしれません。

今までとは違う。ちょっと胸を張れることに気づく。

この本は、自分の今までの行動を悔いあらためさせるようなことはしません。「壁」を意識すること。

それだけで、あなたらしい「気づかい」が自然とできるようになる本なのです。

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