朝日、眠れない時わかったこと

結論から言うと、私はあの子になりたかったのだ。それに気づかないまま、二、三年過ごしていた。みんなに心配されて、みんなに好かれるあの子。私を助けてくれる人が気に入っていたあの子。私の元交際相手さんがずっと忘れられなかったあの子。私が大嫌いで大好きなあの子。

だから私はあの子みたいに振舞ったり、自分も人も大事にしないようなことをたくさんした。

ここに書く人たちとは現在、疎遠になっている。ここに書く助けるという言葉は、メサコンという意味だ。(わからない人はメサイアコンプレックスで検索してくださいね)

また、これから書かれることは誰かに対する攻撃ではなく、ただ自分自身が今朝認識できたこと、ここニ、三年の行動の元を発見したので、開放させるだけだ。トリガーとでも言うのだろうか、トリガーであり、銃ではない。そして私の本質であり、誰でにもあることについて。

2018年12月 関西旅行 大阪

私をずっと助けてくれていた人、とても友人として信頼していた。懐いていたの方が使いかもしれない(以下詩人と呼ぶ)の家に他のフォロワーも集まって泊まっていた。しばらくお酒を飲んで談笑したり音楽を流したりしていると、詩人はある女性のキャスを開いた。恋愛感情があったわけではないが、何故か『嫌だな』と思った。今ならその理由がわかるけれど、それはあとに書く。

キャスの内容は伏せるが、詩人はとても楽しそうに声を上げて笑っていた。正直、何が面白いんだろう。と思っていた。

大事なのは内容じゃなかった。あの子だからだろう。

詩人は、その女性のことだけを助けているということを教えてくれた。私のことは友人として守っていてくれていたというとのことだ。それはとても嬉しかった。その女性は私と相互フォロー関係だったが、その日まで全く気に留めていないアカウントだった。17歳らしい。私の4個下ぐらい。


2018年12月 関西旅行最終日前日 京都

大阪から京都に行く間の電車で、詩人から詩集をもらった。ものすごく嬉しかった。

出町柳駅へ到着し、詩人とその友人たち(当時存在したコミュニティ、現在はおそらく消失)と一緒に、鴨川デルタでお酒を飲んだ。川辺の風が気持ち良い、あれは暖かい冬だった。皆優しかったり、無口だったりしていた。

その後、皆で行きつけだという京大近くの喫茶店でで過ごした。ボリュームがあるのに、値段が安くてその上美味しいのがとても魅力的だ。またいつか行きたい。

コミュニティの中の一人の方が書いた小説を読み合って批評したり、コーヒーをおかわりしまくったり、WAIS、WISCの結果を遊び半分で持ち出してその実感を語った。しかし、流石に数時間たってくると話題が尽きてきた。

そこで詩人が提案したのか、元々前日話し合って決まっていたのかは忘れたが、あの子が京都に来るということになった。詩人は来いと電話やLineで押しまくっていた。どうやら理由は忘れてしまったが、私と会わせたいらしい。

感想は、簡単に言うと「気に入らない」だ。

夜になると、彼女から詩人へ京都駅についたという連絡が来た。京都駅からあの喫茶店というと、意外と遠いので、バスが必須だ。だが、彼女はバスを間違えてしまい、詩人も電話で説明したり、てんやわんやだった。たしかに京都のバスは難しい。私もかなり失敗したことがある。

このまま来なくてもいいんですよ。と内心思っていた。何故か心がざわついた。

しばらくすると最寄りのバス停に、やっとのことであの子が来てしまった。来てしまった。

深呼吸をして、顔を上げた。自分の気持ちを周りにさとられまいと、必死だったと思う。

あの子と初めて出会った。運命的な瞬間。いや、運命。

意外な姿、ジャージ、高身長、ウルフカットのような、でも違う見たことのない特徴的な髪型。

あ~ーーーー来ちまった来ちまった!と思いながら「初めまして〜」とヘラヘラ笑った。その子は詩人以外とはほとんど会話をしなかった。キャスや詩人の話とは違い、会うと意外と大人しい子なんだな。と驚いた。(あとで聞くとかなり緊張していたらしい←確かに緊張するよなとも思ったが、なんだかそういうところも少し気に食わないと思っていた)

その後また行きつけだというレストランでその子を含め皆で食事をした。そこもまた良いところだと思った。

メニュー表からオムライスを選んだ。するとうげげ、その子も私と同じ味のオムライスを選んだ。なんだろう、なんとなく嬉しいかもしれないと思ってしまった。矛盾している。

腹からくるムカムカを抑えながらニコニコしていた。ニコニコヘラヘラ。へーへー、そうなんだそうなんだ。相槌をうつ。「女の子が来て緊張で照れてるんですよね」などと薄っぺらいことを言ってしまった記憶がある。私は最低だ。

食べ終わると、腹ごなしに夜の京大を散策した。私はまだ軽くイライラしていたが、コミュニティの中の一人の人が、隣を歩く私に沢山話しかけてくれ、内容も面白かったし、自分のその時の思想を話せたのもあり、私は楽しくなった。

そうこうしていると、ある張り紙が目に入ったそこにはこう書いてあった

【踊らされるな、自分で踊れ!!】

目に入って刺さって飲みこんで、その瞬く間にとても気に入った。もう言葉では言い表せないぐらい、胸にずっとつきささった。

しかし、今この文章を書いているこの時、スローガンの言葉がうろ覚えで自信がなく、検索をした。私は最低だ。

これでもうテンションが最大にぶち上がり、周りとの温度差が広がった。あの子のことなど、気にしなくなった。その時は。

それから吉田寮に向かっていたら、その日たまたま何らかの催しを食堂でやっていたらしく、外国人留学生と英語が達者な日本人学生らしき人たちが爆音のクラブミュージックと共に踊っていた。ここが食堂?光も完全にクラブである。その時はクラブに一度も行ったことなどなかったのだが。

留学生がお酒を売っていた。皆で飲んだ。

そこで私は、忘れられない光景たちを見た。

完全に運動音痴だと思っていた詩人の、キレッキレの踊り、自傷的なのが余計に、素直にカッコイイと感じた。

疲れてしゃがみこむあの子。その時初めて幼く見えた。

疲れと酔いで座れ込みフードを被る詩人のシルエット。

俺達には無理だよねと語り合った、たくさん話しかけてくれた人の感情の読み取れない歪んだ表情。


詩人が悪酔いしてトイレで吐いて、解散の流れとなり、私とあの子とで、具合の悪くなった彼を介抱しながら、京阪電車で大阪に戻った。三人で詩人の家で過ごすことになった。というか頼まれた、あの子と二人は怖いからついてきてくれと。

電車の中で彼女と少し打ち解けた。普通に良い子だと思った。もうむかつきはあまりなくなっていた。

少しはあった。


2018年12月 関西旅行最終日前夜 大阪

電車から降り、詩人宅につくまでの間、彼の親友を呼ぼうという流れとなった。詩人はもう回復していたので、これからまた飲み直してワイワイやるぞ!という感じで、私もその親友のことも、彼女のことも知りたいと思い始めていたので、ワクワクしていた。

夜道で彼女に話しかけた。

「なんでそんなに荷物が少ないの?私遠征するときめちゃくちゃ大荷物になってしまうから、身軽で羨ましいよ」

彼女は答えた

「遠征と思わないといいですよ!」

君にとって、あの移動は何だったのだろう。

しばらく歩き、詩人宅に到着し、親友という男性(以下A君)とも合流した。

部屋で談笑していると、薬遊びの流れとなった。よくあることである。「ODパーティーをする!」とツイッターでつぶやくと、これは東京に戻ってからだが当時お付き合いしていた男性に「ODで入院した知り合いがいたんだ、君は不謹慎だし節操がない」とこっぴどく叱られた。全く悪意がなかったので、何が不謹慎で何が節操がないのか理解ができず、ただ怒られたことが怖くて悲しかったので泣くしかなかった。

少し話がそれたので遠征最終日の前夜に戻す。

あの子が薬が入っていたせいか元々の気質なのかはわからないが、8階のベランダの柵に座り、外に足を投げ出すのでA君と詩人と私とで必死に止めた。何度行っても聞かないので、一人でベランダに行かないことを条件に、彼女は柵に座ることを許された。絵になっているな。と感じた。私はだんだん彼女に対して悪い感情が全くなくなり、憧れの念を抱くようになっていた。なんだかんだ、かなり楽しい一日だと思った。

2018年12月 関西旅行最終日

昼頃、皆がまだ寝ている頃、置き手紙を残し詩人の家を出ようとすると、寝起きの彼が横になりながら、よぉ、と言いながら手を振ってくれた。それでもう何もかもが満足だった。

その後一人で京都へ向かい、抹茶アイスを食べながら、鈍行で半日をかけ茨城の実家まで帰った。別れは寂しいけれど、とても気持ちが良かった。あの子やA君らなど友達が増えて、本当に嬉しかった。

さようなら、私の居場所。


2019年7月 東京

ある意味運命的な出会いだ。

一度目の別れの際、彼は言った

「関係がどうなっても、君の人生のどこかに必ず居続けるよ」と。

最悪な形でそうなってしまったね。

初めて彼とあったとき、黒ずくめの格好で暗い雰囲気をまとっていた。

京都で会ったあの子は彼のことが大好きなんだ。彼らはかつて同居していた。離れていても、そこの関係はまだ続いていた。その時はそこで繋がっているだなんて知らなかった。いつだったか知ったとき、何かによって全てが仕組まれているのでは?とさえ思った。

黒い彼の話は長くなるのであまり触れないでおこう。この夏の話はまた今度にしよう。

今は彼女の話をしているのだ。


2019年12月〜2020年7月

黒い人と交際して友達に戻った。

その間わかったこと。

私の心が頭が壊れてしまっていたこと。

2018年〜2019年の間にうつ病になっていた事。

小さい頃、特に思春期以降から22歳になるまで性格だと思い込み放置していた発狂や生きづらさが病と障害だったこと。

私が人間的に未熟であること。

いくら縁を切らせようが、彼にとってあの子は揺るがない存在であること。

私より彼女のほうが彼を信じてあげられること。そして何よりそのことに彼自身が気付いてしまった。気づいてくれたこと。

まだ黒い彼と付き合う前、あの子のジャージを真似したり、一人称を真似ていたこと。

完全な善人も悪人も存在しないこと。

人の心は縛れないこと。けれども知らない間に縛ってしまうこともあるということ。

祖父が他界し、後悔しても戻らないものがある、人はいつか必ず死ぬという実感。


2021年3月17日 東京

私が今までの経験でわかったこと。

私は憧れる人間を憎みながら真似をして、愛してしまうこと。

あの子の仕草や喋り方や雰囲気を真似てみるために、未だに、あの子の真似っ子をして自分を傷つけていること。

でもそれは私だけじゃなく、みんな心の中に【あの子】の様な存在を抱えていること。

私が去年より精神的に成長していること。

さようなら、そしてありがとうを、色んな人にもう伝えられない苦しみ。

私の優しさは優しさじゃないことがあること。

ごめんねも伝わらない苦しみ。

一度背負った罪に対して、ごめんねで報われようとするのは愚かだということ。失礼だ。

もう少し大人になってからみんなに会いたかった。

自分を責めるときに甘えていること。

今の精神状態であなた方に出会いたかったこと。

憧れ愛し憎んだ方々に対して、さようならはまだ言えないが、いつか本当にお別れをしたいという気持ち。

本当はひどい言葉で拒絶してくれないと苦しみが続くから突き放してくれれば良いなと思ってしまう悩み。

そうでなければ、さようならができない。

上辺だけの言葉なんていらなかった。

それは私が未熟だからかもしれない。

そして勝手に独り歩きする憧れた人たちの人物像、私の中のあなた達。

これからは人のあるがままを見られるようにしたい。もう独り歩きはさせたくない。

もう一度やり直すために生まれ変わりたいと思ってしまう。

書き続ける。死ぬまで。さようならを。


こんなに長い文を、私の話を聞いてくれてありがとうみんな。

川を見てくる。

橋を歩く。太陽が光る。水面が瞳に入る。

さようならを。












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