「東京五輪で活躍する為退職します」と上司に伝えた日
こんにちは、アイダです。今日はこちらの記事の続きを書いていきたいと思います。
私は幼い頃から迷いがないさっぱりした人間でした。
母と一緒にスーパーに行くと、姉が一つ買ってもらえるお菓子を決めるのに何十分も悩んでいる横で私は「梅昆布」若しくは「おっとっと」この二択。
それまでは姉のお下がりの自転車を使っていたのですが、中学入学の時に初めて新品の自転車を買ってもらえることになり近所の自転車屋さんに。
扉を開いて目に飛び込んできたオレンジの自転車、キラキラしていた。
「これにする」
母は「え、もう少し悩んだら?これとか、あれとかもあるよ?」
「これがいい」
一瞬で決めたその子は学校で一番可愛かったと思う。うん。それから16で原付の免許を取るまでの4年間、毎日私に付き合ってくれた。
進学先も、地元を離れて東京に就職する事も両親には相談する事なく、ただそれが当然で決まっているかのように物事を進めてしまうから、母は少し寂しいようだった。
そうやって10代を駆け抜け、気づいた時には東京にいた。
将来の夢、目標、そこに到達した時、最高に幸せだった。しかしそれと同時に、これからどこに進んでいけばいいのだろうかと、先の見えないトンネルにいるような不安を感じた。
居酒屋のTVに映る東京2020の文字。世界で活躍するってすごいなぁ。
「昨日のYou Tubeみた?」同期のお気に入りのYouTuberは同世代。
手の届かない世界が眩しくてうらやましかった。
小さい頃から観ている”名探偵コナン”に出てくる”工藤新一”は、私より年下になっている事に気づいて焦った。
オリンピック選手のように世界に感動を与えることや
You Tuberのように観ている人を笑顔にする事、
高校生探偵のように難事件を解決する事は出来ない。
それでも、せめて
オリンピック観戦で海外からやってくる人に日本を楽しんでもらいたい
それなら間に合うかもしれないと思った。
日本の良さを知ってもらうには自分が日本を知る必要がある。そう思った私は何故か世界遺産検定の勉強をはじめた。
熱しやすく、冷めやすい私は4級を取得し満足した。
次に私は気づいた。
「英語喋れない」
学校を卒業してから勉強なんてしなくなる。中学レベルの文法ですら危うい
「それじゃ留学しよう」
オンライン英会話、独学、Languege exchenge、国内で英会話を習得する方法が沢山あることを後に知ることとなったのだが、当時の私の頭には
英語の勉強=留学 これしかなかった。
20歳の誕生日に母から貰った本がある。そこには20代ですべきことが書かれていた。曖昧だが、たしか、、、
「20代のうちは貯金をしようと思わなくていい、人脈を広げろ」
そうあったと思う。単純な私は、働いて得た給料は全部使った。ブランド品とかには興味がなくて「お金」は「経験」に替えた。
だから社会人5年目の私は恥ずかしながら貯金0だった。
留学には莫大な費用がかかる。
常に人員不足の職場を今すぐに辞める事は出来ない。
「一年で準備をしよう」
私はそう決心して、上司に
「オリンピックで活躍するために1年後に退職させてください」
そう伝えた。
まだまだ下っ端の若造がいきなり退職の申し出。そう簡単には受け入れられないだろうと思っていたが、もちろん断られても辞める気は満々だった。
上司から返ってきた応えは
「目標があるのであれば止められない。寂しくなるけど頑張ってね。」と。
神だ。
一年後、退職した私は日本を飛び出した。
拙い長い記事、最後までお付き合いいただきありがとうございました!