イイ女は、西の悪い魔女か良い魔女か?
ウィキッドが来春日本で公開されるそう。
劇団四季のウィキッドを初めて見たのは、19歳の時だった。
自身の大学に入るタイミングと重なったこともあって、当時の共感と感動は今でも忘れない。
ウィキッドは人種問題や善悪、正義といった深いテーマが隠されているのだが、それらは一旦置いておいて、今回は2人の女性像に注目したい。
1人目は主人公でもあるエルファバ、とても聡明でたぐいまれなる能力を持つ一方、緑色の肌で生まれてきた為、家庭内でも社会からも差別をうけて育っている。
2人目はグリンダ、恵まれた容姿、家庭環境で育った人気者、常にカーストの上位にいたであろう、典型的なお嬢様である。
彼女たちは最初はいがみ合いながらも、偶然ルームメイトになったことで互いに能力を認め合い、親友に近い間柄になっていく。
現代の日本において例えるとすると、霞が関のバリキャリ女子とキラキラ港区女子の間で友情が芽生えるといった感じである。
2人は友情が芽生えながらも、フィエロという同じ男性を好きになってしまい、結果的に取り合う構図になっていく。
フィエロという男性は、容姿はもちろんカリスマ性があり、みんなに好かれる人気者といった男性で、こちらも例えるとすると慶應卒のやり手広告代理店のような男子である。
客観的にみていると、お似合いなのはグリンダ(キラキラ港区女子)で、最初フィエロもグリンダといい感じに進むのだ。
しかし、最終的にフィエロが選ぶのは、エルファバ(霞が関バリキャリ女子)なのである。
外見だけでなく、主体性のある強い女性が美しく選ばれるのだと、と当時は驚き、いやでも現実はそうではないと、フィエロの選択も含め夢物語、エンターテインメントなのだと思っていた。
しかしルッキズムや多様性という言葉が使われるようになった今、女性への価値観はエルファバが表すものが魅力的だという方が多数いるであろう。
ウィキッドが初めてブロードウェイで公演されたのは2003年。
約10年前から強く芯のある女性が美しいとされる世の中がくるという予見であったのか、はたまた10年前から比べると格段に1人1人の発信する力が大きくなった結果、集計できていなかった人々の意見が蓋を開けてみれば多数だったというだけなのか。
どちらにせよ、私は当時から変わらずグリンダかエルファバのどちらかになりたいかと聞かれれば、迷わずグリンダ。
フィエロには選ばれなかったけど、きっとグリンダだったら切り替えて新しい恋を見つけ、ずっとポピュラーでいてくれるはずだから。