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世間が子どもを作る理由

子どもが欲しいと思う理由には様々なものがある。

たまに炎上する理由としては「老後が安心(介護要員)」などである。

データで見る子どもを持つ理由

20年以上前のデータにはなってしまうが、国立社会保障・人口問題研究所「第12回出生動向基本調査」2002(平成14)年の資料を見てみたい。

内閣府の「子どもの存在に関する価値観」のページから引用。

妻の年齢別にみた、子どもを持つことを理想と考える理由(引用元:内閣府)

上記のデータを見やすくしたものが下記のグラフである。

妻の年齢別にみた、子どもを持つことを理想と考える理由(整形データ)

子どもがいると生活が楽しく豊かになるから」と回答した人が多い。年代でそれほど差がないことがわかる。おそらく普遍的な欲求なのだろう。

『現代日本の結婚と出産:第15回出生動向基本調査(独身者調査ならびに夫婦調査)報告書』(2015年)の独身者調査も見てみたい。

子どもを持つ理由、独身者、女性
子どもを持つ理由、独身者、男性

男女ともに、下記の事項の割合が少ないことがわかる。

  • 子どもを持つことで周囲から認められる

  • 子どもは老後の支えになる

  • 子どもは夫婦関係を安定させる

  • 交際相手や親など周囲が望む

「結婚して子どもを持つことは自然なこと」と回答した割合が多いのは男性だった。

「好きな人の子どもを持ちたい」は女性の回答が多かった。

子どもを道具のように扱うとは

内閣府のウェブサイトのページにはこう記されていた。

「子どもは老後の支えになるから」(19.0%)、「夫や親など周囲が望むから」(11.5%)、「子どもを持つことで周囲から認められるから」(6.9%)といった、外的な理由や実用的な理由に対する回答割合は低い。

外的な理由や実用的な理由」に注目したい。おそらくここが「子どもを道具のように扱う」の線引きなのではないだろうか。取得データによって割合にかなり差があるが、少なくとも一定の割合で存在はしている。

また、根拠としては弱いが哲学者であるカント(1724-1804)は、相手の意思の自由を尊重しているかどうかで相手を手段として見ているかどうかを示している。この考え方を論拠にすることもできよう。例えば、子供が拒否しようとも老後に自分の世話を望んでいるなら、それは手段(道具)としてしか見ていないということである。「夫や親など周囲が望むから」「子どもを持つことで周囲から認められるから」も、子どもの幸せを願わず自分の欲求だけでしか行動してないのであれば「手段」といえるだろうが、子ども幸せを同時に願うならばそうとは言えない。少なくともカントの義務論では言えない。

とはいえ、「子どもを道具のように扱う」の線引きはこれが正解だというつもりは毛頭ない。ずっと昔(数十年ほど前まで?)は跡継ぎのために子どもを産むこともあっただろう。それを考えると、まだその考え方が残っていても不思議ではない。

外的な理由や実用的な理由で子どもが欲しい人は依存をしている

例えば「子どもは老後の支えになるから」と言う人は、将来子どもが「親の世話なんかしない」と言ったらどうするのでしょう。きっと不機嫌になるのではないでしょうか。これは子どもに依存してしまっているからです。

「夫や親など周囲が望むから」も、もし子どもを産んでも嬉しくない反応をしたらどうでしょう。やはり不機嫌になるでしょう。

「子どもを持つことで周囲から認められるから」も同じように必ずしも達成されるものではありません。

このように、「産まれたら幸せだよね」ではなく「産まれないと私は不幸だ」という状態です。不幸を埋めるために子どもを産んだり結婚したりする人は、不機嫌になりやすいし、その不機嫌をコントロールする能力も持ち合わせていないと言っているようなものです。

とはいっても、「子どもは老後の支えになるから」という人を非難はしていません。間違っているとも思いません。間違っていないとも思いません。少なくとも昔の人のそういう考え方が一般的だったでしょう。今は老人ホームなどがあるからこそ「子どもは老後の支えになるから」という考え方が邪道だと思うだけで、あと50年もしたらその常識すらも変わるかもしれません。ですので、「正しい正しくない」で判断する必要はないのです。

「子どもがいると生活が楽しく豊かになるから」も結局道具として見ているのでは?の回答(追記)

「子どもがいると生活が楽しく豊かになるから」も結局は道具として見ているのでは、ということに回答します。

結局のところ、それは「自分がどう基準を設定するか」によるのだと思います。

「道具として見る」のような言葉には基準がありません。「○○をすると違法」「○○歳から成人」のようなものは基準が決まっています。しかし、基準の決まっていない言葉は、使用者の文脈によるところが大きいのです。例えば、「もう少し待って」という言葉には、「30秒くらい」のときもあれば「3か月くらい」のときもあるでしょう。それと同じです。

「子どもを道具として見る」の解釈は、一般的にはこのくらいだろうというのは先に述べました。しかし、やはり文脈によって変わってきます。

つまり、「子どもを道具として見る」がどこからかと争うこと自体が無意味です。

またこの言葉は、人を攻撃するときに便利な言葉でもあります。似たような言葉に「それは相手に失礼」「マナー」「大人なんだから」などがあります。結局基準は人それぞれなので、自分の基準の中で「悪い」と思えば、避難できてしまう言葉たちです。

そういった言葉を使うのはいかがなものでしょうか(←この言葉もそうです)。

※この言葉に関しては別途記事にしたいと思います。

まとめ:外的な理由や実用的な理由で子どもが欲しい人は一定数いる

まとめとしては、「外的な理由や実用的な理由で子どもが欲しい人は一定数いる」ということである。

婚活をする上では、そういった人を除外するか受け入れるかの判断が迫られる。

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