破られた作品 と 観念構造、魂の痛み
大学では 空間デザイン と言って
建築、インテリア、プロダクト、
ランドスケープなどを学んでいた.
もう お察しの方は いるかも知れないが
これだけ広範囲の分野なので
どれもこれも、その学びは
表層をさらったようなもの.
とは言え、デザインをする上での
考え方、ものの見方はみっちりと.
前置きが長くなったが
写真の破られた紙たちは
わたしの卒業制作品である.
当時、京都市美術館で開かれた卒業制作展.
空間デザインであるのに
制作内容がグラフィックデザイン領域に
近いものになったことを
わたしを担当した 新任准教授が
面白く思っておらず
展示当日まで、様々な嫌がらせを受けた.
最終的には教授たちが、
その准教授に お灸を据えるほどだった.
展示期間中のこと
わたしが展示会場に居ない間に
例の准教授は、わたしの展示作品を
破って 来場者に無料配布した.
別館の展示を観に行き、
本館へ戻る道で 見覚えのある紙を
持っている人々が 通り過ぎて行く.
「 いただきました〜〜!👋☺ 」
横断歩道を向こうから渡ってくる
同期のお母さんが
嬉しそうに手を振って声をかけて来た.
手には、わたしの作品の1ページが.
わたしは ギョッ!としながらも
会釈をしてから、本館へ向かった.
そこでわたしが観たものは……
無惨に破られて
すっからかんになった
何日も徹夜で制作し
製本した作品たち.
それは、わたしの中身を出し切った
結晶って思ってたものたち.
立ち尽くしていたら…
当時付き合っていた彼が
「 これ見て 」
と、何故か嬉しそうに
デジカメに保存された画像を見せて来た.
わたしの展示台の前に列ができ、
それぞれが、わたしの作品を
破って持ち帰る姿だった.
「 すごいね!」
と言う彼氏.
唖然とするわたし.
そこへ
「 このほうが、おまえが喜ぶかと思って 」
と、わたしを疎ましく思っていた
例の准教授が 背後から現れた.
「 俺が、こうして破って見せて
来場者に配ったんだよ 」
と、わたしの作品を目の前で破りながら
明らかに 悪意のある笑みを浮かべた.
誰が、製本した唯一それしかない作品を
破って無料配布されて喜ぶものか.
この作品、実は当時
実業家であり、デザインを学びに来ていた
年上のクラスメイトのお兄さんが
「 お金の匂いしかしない… 」
と言って、
某有名インテリアショップに
プレゼンしたいと持ちかけてくれていた.
自分で言うのもなんだが
なかなかのアイデア作品だったのだ.
制作は とても地道で
折り紙の “ 折り方考案 ” から始めた.
何度も折り、広げてはまた折る.
そうして、
機能性とデザイン性を兼ねた形を
何ヶ月もかけて生み出したもの.
それを破って、不特定多数の人に
無償配布されたのだ.
もちろん、この作品に
どれほどの価値があったかは 定かでは無い.
ゼロからのアイデアなんて
この地球には無いと思っている.
地球にあるものは、
すでに宇宙のどこかにあるからだ.
大切なのは、
そのインスピレーションを得ること
具現化するための行動だ.
ここに人は 時間や労力
何より、精神と心を注ぐ.
そう思っている.
オープンソースや
撮影OKの展示会が増える世の中で
このようなことを書くのは
器が小さく 恥ずかしいこと
なのかも知れない.
しかし、
触れてはいけない部分はあるだろう.
モラル……も人それぞれかも知れない.
しかし、モラルの無さというのは
想像力の無さと比例すると感じている.
この 負のカルマとも取れるものを
ずっと解消できていなかった.
この准教授を訴えようかしら
不幸の手紙でも送ろうかしら(笑)
などと、社会人になってからも
ふとした時にフラッシュバックしては
悶々と考えていた.
この3-4年ほどは
それが表出化する機会がなかったので
すっかり忘れていたのだが
最近、またフラッシュバックした.
そして、もうもう
その構造には 誰に言われずとも
すぐに氣付いた.
“ あの時の あれ が 解消されていないから ”
“ あれ ” とは、この 魔の卒業制作展.
制作した6冊すべてが破られ
1ページも残らなかったものもある.
激しい怒りの底にある 激痛
底なし沼のような悲しみ.
当時のわたしは、その感情を
その場で、誰にも見せられなかった.
わたしにも落ち度があったと思ったから.
「 おまえが喜ぶかと思って 」
と言って来た准教授にさえも
引きつりながらも 笑みを向けた記憶がある.
痛い 痛い 痛い
とても痛くて 悲しい記憶.
魂を千切られるような感覚.
今も 実家のクローゼットの奥にある
この作品が目に触れる度
胸に激痛が走り、苦しくなる.
もう20年くらい
この痛み、悲しみを放置していた.
この観念構造、カルマを解消しなければ
何度でも この痛みは浮上してくる.
これでもか
これでもか!
と、この先も
わたしの目の前に 何度でも現れるだろう.
解消の仕方もわかっている.
あの准教授を訴えるでも
追求するでも、咎めるでもない方法だ.
しかし、これには年数を要すると
わかっているからこそ 取り組めなかった.
または年数をかけたからと言って
成せると言い切れるものでも無いのだ.
「 はい、どうぞ
欲しいのなら持ってお行き.
役立てて、あなたの豊かさに変えてね 」
そう言える わたしになるまで
どれくらいの月日を要するだろう.
でも結局、この構造をクリアする
もとい、負のカルマを解消するには
この方法しか無いのだ.
地球は “ 力の世界 ” だと ある方に教わった.
わたしは、力の世界のやり方が
はっきり言って苦手だ.
でもそれを出来ない限り
ここ地球では、成せない・癒せない.
“ 力 ” の扱い方を 間違えないように
正しく前向きに使う練習が必要だ.
2024 / 05 / 05
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