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. ✴︎ 最強のアイテムだった話
ここ最近は、これまでの人生を
再度振り返ってみている.
振り返り大好きだからよくやるのだけど
iPhoneメモで自己完結することがほとんど.
前にメモしたものを、
ここにも書き残して行こうと思う.
(( blogに書こうよ ))
✴︎
ずっと取り組んで来たことが
少しずつ光に変わっていく感覚.
すぐに具現化するもの.
じわりじわり、と形をあらわすもの.
意図してないけど、強制終了的に
変化し、形をあらわすもの.
このスピードのちがいは
そこにある自分の観念の根深さと
比例すると理解している.
今回は、じわりじわり.
の、ものについて書いてみる.
✴︎
強迫性障害(OCD)
Obsessive-compulsive disorder
わたしはこれを持っている.
OCDにも様々なタイプ、症状があるけれど
わたしは基本的に不潔恐怖症である.
(( 特に人工的な汚れに強く出る ))
このおかげで、パートナーや家族と
上手く行かないことが多々あった.
(( いえ、まだある. ))
「 なぜこれが見えないんだ?」
は、ここにも起因している.
わたしはOCDは粒子の世界だと思っている.
(( すべて粒子だけれども、敢えて言うと. ))
例えば炎が迫って来たら、
一般的に人々は不安を感じると思うけれど
OCDのそれは、肉眼で見えないレベルの
粒子にフォーカスし、
それに不安を感じているのだと思っている.
「 見えないものに恐怖して囚われている 」
そのように見えるから、
理解されないし嫌悪される.
夏目友人帳の「 レイコ 」さんみたいだね.
(( レイコさんは恐怖はしてないけど ))
ただ、コロナ禍に入った時は
「 ほら、やっぱり居るじゃん 」
と、目に見えないウイルスに罹患し
広がっている様を目の当たりにし
それに不安を感じたり恐怖する人たちを見て
「 わたし、それがいつも見えちゃうの 」
って思った.
「 見えなくても、確かにそこに居るでしょう?」
って思った.
アマビエさまが出て来られた時には
申し訳ないけど結局、見えないものへ恐怖した時は
普段、信仰に対して冷ややかな視線を送る人すら
最後は「 神頼み 」.
見えないものにすがるのだなあと、
わたしが冷ややかな氣持ちになったほどだ.
ここまでは、人生のうちで
ずっと取り組み考えて来たことのまとめ.
ここからは、その理解されないものを
自分の中で肯定すること、
つまり見方を変えたことで、
「 生きやすくなったなあ 」
と、実感するまでの過程を書く.
とは言え、すべてにおいて
自分が自分をどう扱うか
どの角度から見るか「 だけ 」の話だから
メモを振り返って、滑稽にも見えた😂
✴︎
夏のこと、
ギラギラと強い太陽の影響だと思うけど
「 そんなに繊細に生きてない!」
って、信じてた人に言われて
とてもショックを受けたし、
自分の幸せに自分が責任を持つ
の意味を身をもって体験した.
「 OCDだと、繊細だと、ダメなの?」
社会から見て、
極にある性質の数パーセントは
病氣 とされることが多いそうだ.
睡眠時間が短いとダメなの?
寝ないとダメなの?
それは、睡眠障害だと言われてしまうの?
世間一般からして、
多数派から見て外れるものは
病気なの?嫌悪されるものなの?
「 わからないもの 」は「 こわい 」ものね?
………
そうして、自分の持つ性質を
「 いけないもの 」として自身でも扱って
自分の感覚を修正して、皆と合わせるように…
に、注力するより
「 なんにも悪くない、変じゃない、
これが素のままの わたしなの 」
「 わたしはこれでいくよ 」
に、注力した方が
嫌悪される質のポジティブな面に
フォーカスした方が
よっぽど生きやすい.
物事の真理だけれど
結局、それ自体に善悪はなく
そこにどんなエネルギーが乗ってるかだ.
「 わたし、OCDで皆とちがって
氣が細かくて、面倒かけてごめんね… 」
の、エネルギー = 罪悪感 を乗せると
OCDであることを攻撃される.
(( 自分で攻撃している ))
そこにフォーカスしないこと.
「 氣が細かいから、
皆の氣付かないことに氣付き、
見えるものが多いんだ 」
に、フォーカスすると
それは才能になるのかも知れない.
事実、OCD持ちの才人は多く居る.
どちらにフォーカスを当てるかだ.
OCDという特徴を否定するか、
自身の一部として認めるか.
症状に心底嫌気がさしたなら、
治療に注力すれば良い.
わたしはどちらにしようか、長年悩んでいた.
認知行動療法で、自身を矯正するか
それとも
自身の一部として認めて持ち続けるか.
わたしの頬にある大きな痣に対しても
思春期くらいまでは
こういう葛藤をしていた.
可哀想がられたり、からかわれたり、
通りすがりの人に心無い言葉を投げられたり.
そんな痣に、物心付いた頃からずっと悩み、
両親も「 女の子だから… 」と氣に病み、
レーザー治療を勧めてくれたことも
何度かあった.
わたしは悩んだ.
「 確かに取り除いた方が、人と接しやすくなる
でも、これも “ わたしの一部 ” なのに
どうして悪者扱いするの?」
と、小学生ながらに思っていて
何だかずっと治療は保留にしていた.
高校から大学に上がるくらいの頃に
「 わたしはこの痣を死ぬまで持っておく 」
と、心に決めた.
「 これもわたしの一部だ 」
と、強く確信したのだ.
「 これがないとわたしじゃなくなる 」
と.
そこから、痣のことで
からかわれることは、ほぼ無くなったし
「 あれ?そんなのあったっけ?」
と、友人になって結構経つ人から
言われることも何度かあった. 笑
五体満足に産んでくれた母
健康に育ててくれた両親に
心から感謝しながらも
顔の痣、極端に小さいからだ、
おまけにOCDと
まあまあ特徴のある姿形と性質を持って
この世に来たけれど
それらもすべて計画のうちで
それらが無ければ氣付けないことに
たくさん氣付けている.
ぜんぶ受け入れて、
というより、
ぜんぶが贈りものだと氣付いた時
それは最強アイテムになるのだ.
少しずつ、使い方をわかって来たような…?
これまで重たかった鎧は
翼へと変化した🪽
と、思う!
軽やかに生きたい.
✴︎
何となく選んだ写真.
冷たい氷の結晶が
柔らかく軽やかな羽にも見える🪽❄️
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