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『炊けとり物語』/掌編小説

 今日もおいしいご飯が炊けていた。

 先月末に新しい炊飯器を買ってからというもの、白米が美味しくて仕方がない。
「まるで土鍋炊き」を謳っている商品で、炊きたての米は粒が立ってつやつやと眩しい光を放っていた。
あまりの美味しさに、ご飯一杯でご飯を何杯食べられるかというチャレンジをしてSNSに投稿した。上には上がいるもので、ご飯1粒で10杯も食べる猛者が現れたときには驚いた。

 充実した日々。毎日毎日、健気にご飯を炊き続けてくれる炊飯器に愛着が増して、炊きたての良い香りから、「嗅ぐや」と名付けることにした。それから僕は、嗅ぐやと一緒に長い月日を過ごした。

 そんなある月明かりの眩しい夜、嗅ぐやの製造メーカーから恐ろしいニュースが発表された。
リコールだ。信じられないことに、嗅ぐやに欠陥が見つかったらしい。ご丁寧にメーカーの担当者がわざわざうちまで回収にやってきた。
嗅ぐやは半透明の緩衝材にくるまれ、メーカー本社へと帰っていく。一緒に過ごしたあの日々も、忘れ去ってしまうのだろうか。むせび泣いてすがったが、メーカーの態度は強固だった。

 それからというもの、嗅ぐやを失った悲しみで体重は10キロも落ち、見た目も老いて翁のようになってしまった。
残された希望は、万一にそなえて、冷凍庫に保存してあった嗅ぐやの白米おにぎりを、いかに美味しく食べるかということだった。
僕は冷凍により落ちた味を補うため、白米おにぎりに合う具材を求めて世界中を飛び回った。

 そうして長い旅路の末にたどり着いたのは、大いなる大地、北海道。利尻産の昆布だった。

 嗅ぐやの残した最後のおにぎりに、この最高の昆布をいれて食す。久方ぶりの嗅ぐや。利尻昆布の塩気が、おにぎりの冷凍焼けした独特の香りを打ち消してくれる。

 みるみるうちに元気を取り戻した僕は、嗅ぐやとの思い出を胸に毎日北海道の海へ潜った。これも嗅ぐやが与えてくれた道だ。そう考えた僕は、コブ取りじいさんとして楽しく余生を過ごすのだった。


 ~Special Thanks  嗅ぐやに捧げる~

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矢入えいど@『ファースト読み物』
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