
#22-289 「いいところ」
言いたいひとには、言いたいことを言わせておけばいい。
言わせておけばいいけれど、
言う通りにはしないし、思い通りにはさせない。
10月も後半になった。
仕事でもプライベートでも、しなければならないことが全くといっていいほどできていなくて、「完了」が見えないでいる。昨日、ひとつだけ進んだけれど、まだまだ先は長い。それでも、時間は待ってはくれず、只管にすぎていく。
あと2週間。
どうにかいい形で終わらせたい。
昨日はとても残念なことがふたつもあった。
ランチに行ったカフェ、休憩中のスタッフ。
— aico arimitsu (@aico_arimitsu) October 15, 2022
外したエプロンをテーブルの上に置くな。
肘をついて食べるな。
客の前で食べながら仕事の愚痴や文句を言うな。 pic.twitter.com/g4LL1GSHlw
ひとつは、こちら。
お気に入りのカフェだったので、とても残念だった。ちょっと遠いし、あまり行くことはなかったのだけれど、しばらくはまた行くことはないだろう。「好きだったのにな」と、あのメロディが頭を過ぎる。嫌いになったわけではないのだけど。誰か、教えてあげられるひとがいたらいいのにな。いいお店であってほしい。
「お店」というより「そのひと」の問題なのだけど、「そのひと」が「お店の顔」となるのだ。お店だけではなく、会社も同じだ。
「こういうひとが働いているところ」と周りは見るのだ。
芸術交流の会場のひとつ、岡山神社で蚤の市してたんだけど、展示物の上に蚤の市の出店者が荷物置いてるのん、だめだと思う。お金払ってチケット買って、展示観て回ってるひともいるのに。芸術交流が開催されていること、その場所を使って出店していること、弁えてほしい。主催者気付け。#岡山芸術交流 pic.twitter.com/y6JUxAul7g
— aico arimitsu (@aico_arimitsu) October 15, 2022
もうひとつは、こちら。
何が展示されてるのだろうとおもって入って探してしまった。展示されているものに荷物を置くなんて、どうして誰も何も言わないのだろうか。それがよくないことと、誰も考えなかったのだろうか。芸術交流側も、蚤の市側も。
わざわざチケットを買って、予定を立てて芸術交流を観にきているひとがいる。
そのひとが観るのは、この荷物が置かれた作品なのだ。
作者は、この芸術交流のための作品に、荷物を置かれているのだ。
考えてみてほしい。
どういう気持ちになるだろう。
↑本来の展示(別日に子どもが撮影したもの)
カフェであっても、イベントであっても、
いいものであってほしいとおもう。
岡山はとてもすてきなところなのだから。
aico.