#23-152 がんばろう、わたし。
朔詣、初めての護国神社。
感謝をお伝えしてきました。
がんばろう、わたし。
がんばろう、日本。
先日、友人が書籍を出版しました。
「人生を拓きたければ「知覧の英霊」に学びなさい-幸せと繁栄の極意-」という本です。
境内でご本人に遭遇しました。
なんとなく見覚えのあるナンバーの車があったので、もしやとおもったら、やはり。ご奉仕をしているところでした。邪魔かな、とおもいながらも素通りするのもどうかとおもって、「おはようございます」とだけ声をかけておきました。しないほうがよかったような気もしないでもないけどしないよりはよかったはず。わたしの気持ちが。お邪魔しました。
新聞を読んでいます。岡山県と香川県が中心(たぶん)の地方新聞です。なんとなく、しか読んでないのですが、気になる記事はちゃんと読んでいます。一面に、「注目の記事」的なものが何面に載ってあるか紹介されています。ひとつ、気になった記事があったので、その面を開いたときに、丁寧に読んでみました。その記事が、ちょっと引っかかる表現をしていました。
この表現、何か感じませんか?
わたしは、ちょっと失礼な表現だな、と感じました。「このお店にはこの程度しか商品が並んでいません」と言っているように感じたのです。これはマイナスのイメージを与えてしまう表現ではないでしょうか。このお店は、一面に取り上げられるほどおすすめの記事なはずです。「15種類程度」という言い回しだと、批判しているようにも感じられるのではないかともおもいました。このお店の方が読んだら、どう感じるでしょう。
わたしだったら「〇〇・〇〇など、15種類ほどの商品が並んでいる」という具合にするとおもいます。無難ですね。たいした表現力がなくてアレですが。
お店、お客さんが増えるといいですね。
せっかく紹介されたのだから、誰かの目に留まって、興味を持ってもらえると嬉しいですよね。そういう記事であってほしいものです。
ちょっと前に見た記事で、岡山後楽園での茶つみ祭に茶つみ娘の様子を見た感想で「かわいらしかったですね、衣装が」というものがありました。「衣装が」って。
インタビューの回答をそのまま記事にしていたのでしょう。(記者が勝手に付け加えた可能性も無くはないですが!)そこは「衣装が」はカットしてよかったとおもうのです。なぜ正直にそのまま記載したのか不思議です。何をおもってそうしたのか。掲載するにあたって、誰も気にならなかったのか。
これを読んだ茶つみ娘に扮した中高生たち15人は、どうおもうでしょう。どのように感じるでしょう。遠くからしか見えなくて、顔が見えにくかったのかもしれません。衣装だけしかわからなかったのかもしれません。だけど「衣装が」というひと言は、なくてよかったとおもうのです。衣装を褒めることばを載せるのであれば、他の言い回しで伝えればいいですよね。
どんな方が記者をしているのか、気になります。
そういうものを見るたびに、じぶんのことば選びは慎重にしなければならいと感じます。わたしも語彙力が弱く、伝え方が下手なので、伝えたいことが伝わらないことが多いのではないかと感じています。どう伝わっているかはわからないので確認のしようがないですが。
日本語が拙いとおもわれたのか、今日話をしたひとたちに「外国に住んでた?」「帰国子女かとおもった」と言われました。過去には「ハーフですか?」と言われたこともありました。話し方が覚束ないのでしょうか。そんなことを言われるので、伝えたいことがうまく伝わっていない可能性が高いです。日本語、難しい。
話し方もそうですが、相手に失礼になるような伝わり方にならないように、気をつけたいところです。
伝え方も話し方も訓練が必要。
がんばろう、わたし。
aico.