#23-052 望んでいる「答え」とは。
車に「県内在住者です」と言うステッカーを貼っている車を見かけた。そういえば、そんなときもあったな。あれは何だったんだろう。あの頃は、何だったんだろう。今となっては滑稽だし、その頃に多くの制限をされて、楽しみも努力も何もかも奪われたひとたちが気の毒で仕方がない。そんなことは痛くも痒くもなく、他人事のように過ごしていたひともいただろう。制限をされたことで救われたひとも、少なからずいただろう。
もう返ってこない日々。
これから、どうしていくのか。
未来は、どうなっていくのか。
今日は午後お休みして、久しぶりにお気に入りのcafeに行った。Instagramでmenuを確認して、食べたいものの目星を付けておいた。お店に入ると、lunchのmenuを変更する準備ということで、随分とmenuが少なくて、食べるものを選ぶことができず「また来ます」とお店を出た。コーヒーだけでも買って帰ればよかったな、とおもいながら、セブンイレブンのアプリに届いていたクーポンを使って、コーヒーを買って飲んだ。美味しいのかそうでないのかわからないほど、わたしは落ち着いていなかった。落ち着けなかった。
特に行きたい場所もなく、落ち着かないまま時間をつぶすこともできず、明日のお弁当のお買い物をして帰ることにした。帰ったからといって、落ち着くわけではない。わたしはいつ落ち着いているのか。お昼休みの車の中だろうか。
何かを求めてホロスコープを見てみる。「獅子座はみんなそうなのか?」と、不信を抱いて閉じた。この手の占いは毎月見てしまうけれど、いつもたいてい同じことを考える。姉も従姉妹も獅子座だ。同じな訳がない。同じであってほしくない。
わかっている。答えはここにはない。
何の答えを望んでいるのか。
どんな答えを求めているのか。
答えは、どこにあるのだろう。
見つからないことを
望んでいるのかもしれない。
aico.