沼
答えのない明るくない綴りです。
私はポジティブだねと言ってもらえることが割と多いです。それもそこまで無理にポジティブでいるわけではなく、まあ多少なり意識的に前向きでいようとする事もありますが、暗いことを考えてしまっても最後には前向きに捉えられるか、寝たら忘れる人です。
が、きっと初めて抱く暗い感情を綴った
何も編集せず
なぜこれを公開するかはわかりませんが、きっと公開しようと思ったので載せます
明るい内容ではないので、見ない方がいいと思う方はぜひuターンしてください
また闇落ちループにはいってしまった
3度目だ
1度目は何年か前だが、2度目はperfectdaysを見た時なので、今回は間隔が狭い
かれは何のために生きているのだろう
人間は結局いつだって孤独と戦っているのか
誰かといることが生きる意味なのか
1人では生きていけないっていう言葉が好きで、嫌いだ
幸せが誰かに依存していないと得られないということだから
自分の幸せは自分で作りたいけど
誰かと生活することが、誰かに喜んでもらうことが、誰かとご飯を食べることが幸せなら
それは完全に自分だけでは幸せを作れないことになる
夢は幸せだって思って死ぬことだったり
生きる意味は幸せになることだと思っていたが
誰かと繋がれない状態になった時に、自分の幸せが途絶えてしまうなら
いつか自分がひとりになったとき、最後の最後に、生きる意味を見失ってしまうのか
だから結婚するのか
そんなの惰性じゃないか
幸せを確信させるために、保証を作るために、そんな意図はなくても、死ぬ時に1人でいたくないからというのは少なからず結婚するそれなりに重要な理由となっている人が多いと思っているし、自分もきっと心のどこかで思っているし
きっとそれは年を重ねて死が近づくにつれて大きくなっていくと思う
一概に悪いことではないと思う
けど、だから人は神にこの世で生きる意味を見出したり、すがったりするのかもしれないと思ってしまった
私の祖父も、死ぬ間際に母の伝えで、洗礼を受けた
そうなのか?
結局人は、孤独と闘いながら生き続けているのか?
きっと皆んな考えていない、考えない、まだ自分に近い話ではないから見えすぎないようになっているだけで
結局行き着く先はその課題なのか
そんなんなのか
かといって、自分1人でいきて、自分で一人旅して、その中で見つける幸せが正しいのかと言えば一概にはそうだとも思えない
1人で生きる幸せの中でも、結局は誰かと繋がれた瞬間、それは例えば自分のした仕事が誰かの役に立っていたり、いつもいくお店でお帰りって声をかけてもらえたり、誰かに頼ってもらえたりする時なのだとしたら
それは結局1人で得られる幸せではないから
なんなんだ
この問いに答えはないのか
救いがないのか
p.s.
何にも病んでいなかった何気ないある日寝て起きてしまった時に急に入ってしまった1度目の闇落ちの時も、
perfectdaysを見た後の胸いっぱいで、それなりに幸せを感じていたはずなのに家に帰ったら急にいつもの表情が出来なくなって何も考えられなくなった2度目の闇落ちの時も、
この闇を言語化することが出来なかったのだけど
今回は言葉にできてしまった
目に見えてしまった
どうしよう
これをまた非公開にするかもしれない
けどそれはこの事を見ないようにしようとしているだけで
きっと消えることは無いのかもしれない
どうしよ
1度目に闇落ちした時、朝起きたら、何を考えていたのかはまったく覚えていなかった
ただ唯一、
この考えに気づいてしまったからには、今日、これから夜が明けた時、もう私は今まで通り過ごせないかもしれない
と思った事だけはおぼえていた