「たまに思い出すと胸がホカホカするんだよ、このクラスは!」の巻
小学校5年と6年の担任がタオカ先生だった。
お兄さんでもなく、おじさんでもなかった。年は三十代だったと思う。子どもから見た大人の年齢てホント分かんない…たぶん既婚者だったと思う。
髪はツンツンして、ジーパンをいつも履いてて、短足を自虐ネタにしていた。
この時のクラスは男子も女子も仲が良いと言うよりも、男子も女子も垣根がなかったなぁと思う。
その理由はおそらく男女が一緒になって楽しめるコトがいっぱいあったからだろう。
『がいせん』という遊びをご存知だろうか。
説明しよう!『がいせん』とは!?
守る側は陣地内に敵を入れないよう、宝を守る。攻め側は守りの攻撃をかわし、宝を奪う。
この攻撃が押したり、引っ張ったりけっこうワイルド。
敵陣地に引っ張りこまれたり、押し出されて線を超えるとアウトとなる。
攻め側の陣地が波の様な形をしているので、幅の狭いところの移動は超ハラハラするのである。
お互い敵陣地に入る時はケンケン。仲間がいなくなり、制限時間もせまる頃には、特攻隊の気持ちで敵陣地に突っ込んでゆく。
高学年の男女だと、まだ女子の方が体格が良かったからできた遊びだ。
ケガをしようが、何だろうがクラスみんなが夢中になった。
体育の時間は『がいせん』!あまりにも面白すぎて、次の時間もやりたい!!て先生にお願いした。
タオカ先生は頭をかきむしり、クーッと言いながら「お前ら理科のテストがんばってくれよっ!」と理科の時間を潰して『がいせん』を続行してくれた。
先生という立場よりも、私達の楽しい!を優先してくれたコト、すごく勇気がいったと思う。
あの時は気づかなかったけど、今思うと貴重な体験をしていたんだな。
そして『百人一首』も大ブーム。
あのクラスは、文化系かと思うほどインドアな遊びばかりしていた。
休み時間にドッヂボール持って陣地取りに行く子は、一人もいなかった(笑)
この『百人一首』が流行ったキッカケは、ウルトラクイズの早押しボタンを吉田っちが持ってきたからである。
学校にオモチャである。俄然テンションあがる。先生は怒ることもなく、むしろテンションあがってかもしれない。
3人(だったと思う)で対戦できるため、別の人が上の句を詠み分かった時点で早押しして答える。みんなボタンを押したいがため、必死で百人一首覚える。オリジナルの覚え方まで出てきたり、お気に入りの詠み人出てきたり、最高な学びでしかない。
おかげで中学時代の百人一首のテストは楽勝だった。
あと『囲碁・将棋』も流行った。
私には将棋は難しかったので、囲碁で五目並べをよくやっていた。
仁ちゃんという子は絵も上手いし、独特の面白さを持っている上に、将棋も強かった。
この頃の私は、反抗期で先生には口答えばかりして生意気盛りだった。けど、クラスの子ひとりひとりの個性は認めていた気がする。
なので自分を低く見たり、高く見たりすることもなく過ごせていた。
で、その仁ちゃんは、高校時代強面の先生と将棋を指していた。同級生が大人と対等に接してるのがすごくカッコよく見えた。
勉強もしてたと思うけど、一番思い出に残っているのは社会のテスト。
一人ずつ順番に並んで、先生が教科書をパッと開いたページから3問出題される。3問とも答えれば合格!というシステムだ。
まぁ〜みんな、どこが出るかわからないから必死に教科書を読む。ページの隅々まで読む。けっこうマニアックな問題も出ていたから。
ホントに楽しみながら学ぶってコトを体験させてくれたなぁ、としみじみ思う。
良い思い出も沢山あるが、未だに謎な事件もあった。タオカ先生編、次回に続く!
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