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「もしかしたら、今の自分を知ることができるかもしれないね」の巻
とあるウェビナーで、フィルムカメラで撮った写真をみんなで見る機会があった。
ひとりひとりの写真とコメントを見ていたら、気持ちがすっかりあの頃に戻っていた。
フィルムを入れ蓋を閉じると、ジーッと巻き上がる音。
明るさや暗さで写真の出来を予想し、絞り値を考える瞬間。
現像が上がるまで、どんな写真が撮れたか分からないスリル。
現像した写真を褒めてくれたカメラ屋のおっちゃんとの思い出。
1997年、私は18才だった。
ちょうどHIROMIXやホンマタカシが活躍し、親のカメラを貰い受け遊ぶように写真を撮っていた。
初めてのバイト代で、自分のフィルムカメラを買った。
何を買えば良いのか分からなかったが、父親の「どーせ買うならええやつ買っとけ!」で京セラのCONTAX T2を選んだ。
このカメラは私の相棒として、色んな瞬間を切り取ってくれた。
デジカメも小型化し、時代と共に携帯電話は進化しほぼカメラとなり、ネットとの相性もあってフィルムカメラは使う場面がなくなっていった。
フィルム購入や現像にお金がかかるから、辞めてしまったのが本音。
社会人になり、学生の時みたいに何も考えずお金を使えなくなった。
つまらない生き方にシフトチェンジしていたのかもしれないなぁ、と今思う。
しかし、もっかいフィルムカメラを使おう!とはならなかった。
あの時の私は、ノストラダムスの大予言を信じ、1999年に人類は滅亡するものだと思っていた。
何も考えず、ただ自分の好きなことしかしていなかった。
将来のことなんて何も考えてなかったし、今が良ければそれで良かった。
アンテナが研ぎ澄まされて、この光、この場所、この空気を閉じ込めたい!
それくらい純粋に写真を撮るのに夢中だった。
今だったら、フィルムがもったいないからと計算して撮ってしまうだろう。
そんなつまらない自分は、この遊びはやってはいけない気がしている。
でも心のどこかで、チャンスが来ないかなぁと待っていた部分もある。
夢中になって遊べるチャンスを。
もう一度、フィルムが巻き上がるあの音が聞けるだろうか?
純粋に遊べる心が、私に残っているだろうか?
相棒は、今も私のすぐそばにいる。
まだ動いてくれることを願う。