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日月神示の「身魂磨き」「○にゝを入れる」の具体的な意味が分ったかもしれない

日月神示を読んでいると、

「〇にゝを入れて神(※〇にゝを入れた文字で表されている)になる」
「身魂を洗濯してくだされ」
「身魂磨いてくれよ」

という言葉が頻繁に登場します。

はじめは意味が全然分からなくて、字面だけを追っている状態だったのですが、最近になって「もしかして、こういうことを言っているのかな?」と思うようになってきたので、私なりの解釈を書いてゆきます。

日月神示は「この神示八通りに読めるのぢゃ(海の巻 第十五帖)」と書かれているとおり、見え方は人それぞれ、魂の磨かれ方で変わるとも言われているので、これが正しい解釈だ!とは言えません。

が、数打ちゃ当たるというように、色々な解釈が世に出回れば、その分、真の解釈に当たる人が増える可能性が少しでも上がるでは?と思ってこの記事を書いています。解釈の足しにでもなれれば幸いです。

「〇にゝを入れて神(※〇にゝを入れた文字で表されている)になる」の意味

結論から先に言います。
○とゝを現代の言い方に置き換えると、

○=顕在意識
ゝ=潜在意識

になるのではないか、というのが私なりの解釈です。

顕在意識、潜在意識に関しての詳細はここでは省きますが、ざっくり言うなら、顕在意識=自分、潜在意識=心・無意識。潜在意識はスピリチュアル界隈では、直霊、グル、ハイヤーセルフ等と呼ばれることもあります。

ゝ=潜在意識と読むと色々と繋がってくることが多い

潜在意識には様々な解釈がありますが、日本では古くから直霊と呼ばれてきました。
直霊というのは、神様から分けられた分け御霊であり、人の体の中には様々な神様の一部が仕舞い込まれているといわれています。これまで起きてきたことも、これから起きること全てを知っている無限の自由さを持つ自分自身の本質です。

潜在意識をこう解釈すると、「ゝ」と「カミ(〇にゝが入った文字)」の部分が腑に落ちることが多いなと。
特に「カミ(〇にゝが入った文字)」は日月神示ではよく出てくる文字で、色んな意味に使われていますが、潜在意識を直霊という意味で捉えて、なおかつ日本古来の八百万の神という考えを念頭に読むと色々と繋がってくると思うのですが…どうでしょう?

人も神も動物も草木も何もかも繋がっていて、もとを辿ると一つの存在であり、本質はカミ(〇にゝが入った文字)であると。

「○にゝを入れてカミ(○にゝが入った文字)になる」は、”顕在意識に潜在意識を入れる”となります。
これはどういうことかというと、”顕在意識と潜在意識を繋げる”ということです。

顕在意識と潜在意識を繋げるとは具体的にはどういうことなのか

これを前提に考えてみると、「身魂磨いてくれよ」という言葉は、
”顕在意識(自分)が潜在意識(心・無意識)のことを良く知る”と読めると思います。

自分が心から楽しいと思えることはなにか/どんなことが好きなのか/人生で何を求めているのか/どんな価値観を持っているのか/心を揺さぶられるのはどんな時か/大切にしていることは何かetc.

ありきたりな言葉ですが”自分のことをよく知る”ことがイコール身魂磨きなのではないかと。

”自分のことをよく知る”と聞くと、簡単なようにも聞こえますが、真に自分のことを知るとなると、今の世の中でこれほど難しいことはないと思います。

親、友人、先生、上司、同僚、マスコミ、世間の風潮etc.
私達は毎日何かしら他人の価値観を浴びて過ごしています。そして、世間的にも自分の価値観よりも誰かが決めた価値観に従うことが当然のような空気で、他人の価値観=自分の価値観で自分のことが分からなくなっているのが自然な状態になっています。これが日月神示でいう「身魂にごりているから」ということではないかなと。

「身魂を洗濯せよ」とは、自分のものだと思い込んでいる他人の価値観を洗い流せと言っているのではないでしょうか。

まとめると、

「身魂にごりているから」
 →他人の価値観に侵食され自分が分からなくなっているから
「身魂を洗濯せよ」
 →自分のものではない価値観を洗い流せ
「身魂磨いてくれよ」
 →自分の価値観・心、自分の生き方をよく知って生きてくれよ

こんな感じでしょうか。

「カミ(〇にゝが入った文字)の仕組ははじめは苦しいなれど、後は楽」とあるように、本当の自分を見つけるのは苦しいし辛いしキツイことだけど、一度見つけてられたら、自分が何をしたらいいか分かって楽になります。

今の仕組(悪の仕組)は、他人の価値観によって生きていれば自分の頭で考えることもなく楽だけれど、自分を押し殺すことに繋がるので、後になればなるほど苦しくなっていきます。

個人的に、日月神示でいう「悪」とは、"他人の価値観を塗り替えること(人に自分の価値観を押し付けること)"なんじゃないかなと思っています。

他人の価値観を認められない不寛容さによる歪みや悲しみが蔓延しているのが、今の仕組、悪の仕組になると。
「悪も御役」と言っているは、他の価値観を知ることが自分を知る上でもある意味必要なことということでしょうか。「悪を抱き参らせよ」とは、そんな悪=人に自分の価値観を押し付けたいと思う心もまた一つの価値観と考え、同調はしないけれど理解を示すことで相手を静めることなのかなと。

日月神示を読んでいるときに、唐突に頭の中に過ぎったのがこの解釈に至ったきっかけなので、「どうしてそう思ったのか?」と聞かれると、そう思ったからとしか答えることができないのですが(汗)

直霊(潜在意識)、八百万の神って考え方は日本特有で、日月神示で日本が型になる、元になるというようなことを言っているのは、このためなのかなとも考えています。

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