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一日一善。

こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。

2024年の密かな目標として、心の中に「一日一善」を掲げてきました。
不惑にして未熟者のわたしですが、少しでも善い人間になりたいと願って色々考えた結果、善いことを積み重ねていくしかあるまいと思い至り、決めた目標です。

一善」は、ほんとうに些細なことでよいと思っています。
例えば、道やレジの順番が重なったら譲るとか、マンション共用部にごみが落ちていたら拾うとか、電話の応対を丁寧にするとか、そういうレベルです。

ただ、なかなか難しさを実感しています。
一善」の機会はそんなに頻繁には無いからです。

これはわたしがその機会を見つける力に乏しいからに違いないのですが、「今日も一善できなかったなあ」と終わる日も多いです。ただ、「一善」できた時はとてもとても嬉しいです。先日、そんなとても嬉しいことがありました。

ミスタードーナツで順番待ちをしていた時のことです。
その日は混んでいて、順番待ちの列が店内にできていたので、わたしはその最後尾に並びました。でも、お店の外にも別の順番待ちの列ができていることに、並んでいる途中で気づきました。正しいのはお店の外の順番待ちだったようで、お店の人が店内に並ぶわたし達に、外に並びなおすよう促しました。店内に並んでいたわたし達はそれに従いました。

わたしはその時、前から3番目くらいに位置していたのですが、並びなおすと10番目くらいになっていました。元々並んでいた人がいた上に、店内でわたしより後ろに並んでいた人たちの方が外の列に並び直すのが早かったからです。「くぅやられた!」と思いつつ並んでいたところ、店内でわたしの前に並んでいた親子連れがわたしの後ろに並んでいることに気づきました。

お父さんと二人の幼いお子さん連れでした。幼稚園生くらいのしっかりした風情のお姉ちゃんと、ようやく話し始めたばかりくらいの女の子が、どのドーナツにしようかとお父さんと三人で楽しそうに話していました。
一日一善」の文字が頭に浮かび、すぐさまにその親子連れに自分の順番を譲りました。今考えると当然ですが、その時は「一善」だと思っていました。「どうぞ、さっきまでわたしの前に並んでいらっしゃいましたよね」と言うと、お父さんは何度も頭を下げて御礼を言いました。わたしも恐縮してしまいました。

並びながら耳を澄ましていると、お父さんとお子さんがとても良い雰囲気で会話をしているのが聞こえ、心が和みました。途中でお母さんらしき方がやってきてお父さんに声をかけました。お母さんはさらに小さな赤ちゃんを抱っこしていました。「いやあ、並びなおしになっちゃってさあ。でもこちらの方に順番譲ってもらっちゃったんだよ~」とお父さんがユーモラスにお母さんにお話しされ「え!そうなの!すみません」とお母さんが仰るので、「いえいえ当然です」とわたしは笑って応えました。

ドーナツの見えるガラスのショーケースのところまでいくと、お子さんたちは「この白いのはなあに」「チョコレートがほしい」「いちごー!」と口々にお父さんにリクエストして大興奮していました。お父さんは優しくそれを諫めながらトレイにドーナツを取っていきました。「小さい子連れでドーナツ選ぶのって大変だったよなあ…」と、かつての過ぎし日々に思いを馳せつつ、わたしはその状況を思わず笑顔をこぼしながら見守りました。
無事に会計を終えたお父さんは、わたしに向かってまた何度も頭を下げて「ありがとうございました」と仰り、にこやかにご家族と店外へ出ていかれました。

・・・・・なんて善い人に出会えたのだろうか!!!とわたしは感動して、そのあと落ち合った夫に力説しました。
わたしは当たり前のことをしたまでですが、おかげでこんなに温かい気持ちにしてもらえて、(今回のは当たり前のことなんだけど、でも)「一善」すると自分が幸せになるんだ!これは続けよう!と心に誓ったのでした。
あの日、ミスタードーナツで出会ったご家族に幸あれと願います。

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