ラブではじめるクリエイティブドリブン
ちえさんのアドベントカレンダーに何を書いていいのか、とても悩んだけどラブについて書いてみようと思う。
私はちえさんはラブであふれているから大好きで、尊敬している人のひとり。愛ってなにか?ってすごく難しいテーマだけど、わたしのちえさんの”ラブだなあ”と感じるところは、なんだろうかな、彼女がラブでクリエイティブドリブンしているなあと思うところにあるかなと。
“ちえさん”こと、chiepommeさんについて
ボカロpやピアノスケッチの作曲のほか、VRゲーム「ハッピーおしゃれタイム」などを制作するマルチなクリエイター。https://twitter.com/chiepomme
vrゲーム「ハッピーおしゃれタイム」や、ちえpの作る名曲の数々。ちえさんはゲームや音楽が好きで、その自分の好きな世界観を表現するために技術を学び、アートを学び、音楽を学び、実際に作り上げ、好きな人を巻き込んで仕上げていく。好きなことを好きな人と作り上げている。そんなラブでできたクリエイティブドリブン、私はすごくすごく素敵だと思っています。わたしは数年前まではどちらかというと、ネガティブドリブンでした。コーディングもできないし、絵や歌がうまいわけでもなく、かわいいわけでもなく、もう若いわけでもなければ、生まれ育った家はどちらかといえば貧しい方だし。高卒だし無職も経験しているし、なんなら人生なら詰みまくっているし、すごくネガティブ思考になりがち。消費者として楽しむことしかできない不安もあったし、イベント企画なども、かつてじぶんが役者にはなれないからという後ろ向きな理由で裏方をやろうとしていた高校演劇時代から変わっていなかったんですよね。
ちえさんは魔法使いみたいになんでもできちゃう。そんな彼女がとても羨ましくて、かっこよくて、彼女の価値観を見て自分の凝り固まった価値観のダサさを考え直していった。ネガティブなドリブンも悪いわけでは無いと思う。ある程度は楽しくて、成功体験もあると思うけど、わたしのネガティブドリブンって要するに「他者評価依存」なのね。“わたし”が“役者のだれか”を輝かせることで存在感を感じていることになる。でも、ふと考えるとそれってすごい無責任というか、自立できていなかったなあと思う。
去年たくさんのイベントを企画しながら、二年前にはなかった思いを強く意識するようになった。そこに“ラブ”があるのかどうか。
ちえさんは魔法使いみたいに音楽や技術を昔からできていたわけではもちろんなくて、かといって根性論でわたしもいまから真似はできるわけではないんだけど、多分ちえさんは作りたいものが早いうちに明確にあって、実現するためになにをすべきかを取捨択一してきているんだと思う。その作りたいものの明確さ、こだわりそのものがラブだと思う。
去年開催したDevFestWomenTokyoでは、いろんな場面でそのことを強く意識した。例えば、このカンファレンスについてはダイバーシティや女性といったテーマを掲げている、それを実現するにはどうすべきか。わたしは実際に来場した人をいろんなパターンでイメージして企画を進めていった。例えば多目的トイレがあるかどうかとか、ベビーカーが通るのかとか、来る人の立場は運営としてなのか、登壇者としてなのか、参加者としてなのか、また性的マイノティとしてとか、女性としてとか、男性としてとか、いろんな目線を持ってつくりあげたいものに対しての思いと理解、共感、リサーチを重ねて。それはつくりあげていくうちにこのカンファレンスに対しての思いがどんどん強くなっていって、こだわりぬくことができた。最初からではなくて育てたものかも。
生きてて好きなこと、嫌いなこと、たのしいこと、偶然のできごと、必然的なできごと、いろいろある。環境は常に変わりゆく。ネガティブなドリブンからラブのドリブンに変わったときに、「自己評価」で”自分“が評価者にもなって、”やりたいことを全力でやる“責任をもつことをようやくできるようになった。拙いけれど、ちえさんに出会ってこの回答に辿り着いた気がする。"ちえさんはすごい"!、改めて思った。
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