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『クロード・ドビュッシー、ピエール・ルイスの「ビリチスの歌」』
クロード・ドビュッシー:
朗読とアンサンブルのための《ビリチスの歌》
歌曲《三つのビリチスの歌》
《六つの古代碑銘》ピアノ独奏版
Arion
ノエル・リー(ピアノ、チェレスタ)
ダニエル・ガラン(ソプラノ)
ミシェル・デボスト、カチ・シャタン(フルート)
マルチーヌ・ジェリオ、ジョエル・ベルナール(ハープ)
アニク・ドヴリー(朗読)
録音:1976年
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以前クロード・ドビュッシー(1862−1918)の《六つの古代碑銘》に関して、その素材として1901年にたったいちどだけ演奏された舞台用の《ビリチスの歌》という作品が用いられた件について言及しました。
詩人ピエール・ルイス(1870−1925)が1894年に刊行した散文詩集『ビリチスの歌』は、古代ギリシャの女流詩人ビリチスの作品を翻訳したというふれこみでしたが、実際にはルイスの完全なる創作でした。それを知ってか知らずか、作品は高い評判を呼び、友人であったドビュッシーが1897年に歌曲集《三つのビリチスの歌》を書いたほか、最近注目を集めているリタ・ストロール(1865−1941)も詩集中12編に作曲した大作歌曲集《ビリチス》を1898年に発表しています
1901年にドビュッシーが発表した《ビリチスの歌》は、そうした人気を受けて開かれた舞台のために作られたものです。メインは詩の朗読とパントマイムで、それを伴奏するかたちで、フルート2、ハープ2とチェレスタという編成のために書き下ろされました。このときの音楽についてはパート譜が現存しているのですけれども、チェレスタのパートのみ、おそらくは当日担当したドビュッシー自身が即興で弾いたためか、楽譜の存在が確認されていません。
それでも、後年の《六つの古代碑銘》にこの音楽の多くが素材として再利用されているために、それを基にして1901年の《ビリチスの歌》を復元することは可能です。この復元を初めて行ったのは、アルバン・ベルクの歌劇《ルル》の補筆で有名なフリードリヒ・ツェルハでした。これは1969年にツェルハ自身の指揮すrアンサンブル・ディ・ライエとマリ=テレーズ・エスクリバノの朗読で録音・リリースされました(米Vox)。このときのカプリングはエリック・サティの《ソクラテス》。今振り返っても、かなり尖ったプログラムの録音です。
その後ピエール・ブーレーズやアルチュール・オエレによる補筆版が発表され、舞台用《ビリチスの歌》もこんにちまでに数種類の録音を数えるようになりました。有名なのはアンサンブル・ウィーン=ベルリンが女優のカトリーヌ・ドヌーヴと共演したドイツ・グラモフォン盤(1989年)でしょうか。今回配信限定として、LPのリリース以来初めて復刻されたのは、1976年に仏アリオンから出たアルバムです。これについて、私は以前次のように述べました。
さて、ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』をめぐるドビュッシーの作品を集めたアルバムというのも過去にはいくつかありました。その嚆矢となったのは、おそらくフランス・アリオン・レーベルから出た『クロード・ドビュッシー、ピエール・ルイスの「ビリチスの歌」』と題された1976年のアルバム(ARN38350)でしょう。ピアノ/チェレスタのノエル・リーを中心に、ソプラノのダニエル・ガラン、フルートのミシェル・デボスト、カチ・シャタン、ハープのマルチーヌ・ジェリオ、ジョエル・ベルナールが参加して、歌曲集《三つのビリチスの歌》、ピアノ独奏版の《六つの古代碑銘》、そして現存する楽譜から復元された朗読とアンサンブルのための《ビリチスの歌》が収められています。朗読はドビュッシーの研究者でもあったアニク・ドヴリー。このドヴリーの朗読が秀逸で、《ビリチスの歌》の録音としてはいまだに記憶に残るものなんですけれども、いちどもCD化されたことがないらしい。不思議です。
2点訂正するとまず、実は「ビリチス」をめぐるドビュッシーの作品をまとめたアルバムというのは、管見の限りこのアリオン盤の後にもないようです。さらにもう1点、朗読のアニク・ドヴリーはドビュッシーの研究者というより、19世紀以降の楽譜出版史を専門とする研究者と言うべきのようです。
その2点をお断りしておいて、私も今回この盤を30年ぶりくらいに聴いて、あらためて強い感銘を受けました。アニク・ドヴリーの朗読はカトリーヌ・ドヌーヴ同様に、大仰に感情表現をすることなく、トントンと読み進めていくのを基本とするスタイルですが、かといって読み飛ばすでなく、わずかな間を効果的に挿しはさんで、情景を克明に彫琢していくのがいい。そしてここでは合奏もすばらしい出来映えを聴かせます。フルートのミシェル・デボストはパリ音楽院管からパリ管の首席フルート奏者を長く務めた人で、アンドレ・クリュイタンスが指揮した有名なラヴェル《ダフニスとクロエ》全曲録音で独奏を担っていたのも彼でした。デボストのフルートは「リコーダーを思わせる」と述べた人がいましたが、陶器の持つツルリとした手触りを想起させる音色が独特で、《ビリチス》のアルカイックな雰囲気によく合っています。アンサンブル全体としてもフルート2本のふくよかな音の合わせ方、ハープやチェレスタのもたらす夢幻的な雰囲気を優秀な録音がとらえていて秀逸です。仏アリオンの往年の録音は近年大量に配信で復活していますけれども、その中で当盤が24/192kHzという高品質で復刻されたことには大いに意味があると思います。
当盤では12曲の舞台版《ビリチスの歌》に続いて歌曲集《三つのビリチスの歌》が収められています。この曲集の録音にはかつて、キャシー・バーベリアンによる圧倒的な歌唱がありましたけれども、ダニエル・ガランはやや軽めの声質で、この曲集の官能的な性格をねっとりと描くよりも、幅広く強弱を用いつつ全体としては淡々と歌っていて、それがどことはなしに儚げな佇まいを醸しているのが面白い。最後はノエル・リー独奏による《六つの古代碑銘》。オリジナルの連弾版に対して、2手版の録音はこんにちでこそいくつも見かけますが、当盤が初録音だったのではないでしょうか。もともと音数の多くない楽譜なので、多少のスケール・ダウンこそあれ、違和感なく聴ける2手版を採り上げて、リーのピアノはいつもの彼らしく、丁寧で誠実。音色の対比もきちんと織り込んで、気持ちよく聴ける演奏に仕上がっています。