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今日の1枚:リスト《ファウスト交響曲》(マダラシュ指揮)
リスト:
ファウスト交響曲 S.108
メフィスト・ワルツ第1番『村の居酒屋での踊り』 S.110-2(レーナウの「ファウスト」による2つのエピソードより第2曲)
BIS, BISSA2510
ゲルゲイ・マダラシュ指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:2023年8月29日ー9月1日
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フランツ・リスト(1811−1886)の《ファウスト交響曲》について採り上げるのは2度目なので、ここでまずデータ的な事柄を整理しておきましょう。
このリストの長大な作品についての初録音はセルマー・マイロヴィッツ指揮大フィルハーモニー管弦楽団によって1935年、パリにて行われました。後年ヴォックスから出されたLPの記載によれば「大フィルハーモニー管」とはパリ・フィルハーモニー管弦楽団のこと、テノール独唱はジョルジュ・ジュアット、合唱はアレクシス・ヴラソフ合唱団です。マイロヴィッツ(1875−1941)はドイツ生まれの指揮者で、ナチス・ドイツの台頭を受けて1933年にパリに移住、パリが占領された後は南フランスに逃れたものの、1941年にトゥールーズで死去しています。録音はドイツ時代にウルトラフォンに主に小品や伴奏指揮でいくつかを入れていましたが、パリに渡って後にパテ・レーベルに入れたベルリオーズの《幻想交響曲》とこのリストが最も重要なものと言っていいでしょう。《幻想交響曲》の方は80年代の『クラシック・レコード・ブック1000』(音楽之友社)第1巻「交響曲篇」で出谷啓氏がアタウルホ・アルヘンタ指揮の同曲演奏について述べる際にそのSPに言及しているので、戦前より日本でも知られていた録音と思われます。(現在仏Forgotten Recordsにて復刻盤が出ています。)《ファウスト交響曲》は大きな省略ありの不完全な録音でした。(現在Pristine Classicalで復刻されています。)
この作品の録音が本格化するのは1950年代に入ってからのことになります。まず1952年、アレクサンドル・ガウクが大交響楽団を指揮して声楽なしの版を録音し、これに1955年のアルヘンタ指揮パリ音楽院管弦楽団盤(声楽なし)が続きます。(なお、Forgotten Recordsにはシャルル・ミュンシュ指揮ボストン響による1954年のライヴ録音があります。これも声楽なしで、かつ大きなカットが施されています。)終楽章末尾にテノール独唱と男性合唱が参加する版は1957年、ヴォックスへのヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮南西ドイツ放送管、フェルディナント・コッホ独唱のものが、おそらく初のカットなし全曲録音のようです。その翌年にはトーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(EMI)が、1960年にはレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(コロンビア)が、また1967年にはエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管(デッカ)がそれぞれ声楽入りの版で録音を果たします。これはおそらく、LPによって長時間録音が可能になったことに加えて、ステレオ録音が普及したことで、メジャー・レーベルがこの大作をカタログに入れるべく努力した結果でしょう。なお、アンセルメと《ファウスト交響曲》という組み合わせは意外かもしれませんが、これは彼がスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を退任する際の記念演奏会の演目で、ディスクは日本では、確かこの名指揮者がスイス・ロマンド管を連れて来日した際に記念盤として発売されたと思います。
多くの指揮者がこの作品に興味を示し、録音を試みるようになるのは、1976年にバーンスタインがボストン響を指揮して再録音を果たして以降のことと言っていいでしょう。バーンスタイン盤にはすぐにヤーノシュ・フェレンチク指揮ハンガリー国立管(1979)が続き、その後クルト・マズア、アンタル・ドラティ、ジェームズ・コンロンといった面々がこの作品の録音に参入します。フェレンチクやマズア、コンロンはリストの管弦楽曲の集成的録音を制作する流れの中でこの曲を採り上げたのでした。単独の企画としては、上記ドラティやリッカルド・ムーティ、ゲオルグ・ショルティらのディスクが立て続けに世に出るなど、80年代から90年代にかけてちょっとした録音ブームが訪れました。それらはいずれも声楽入りの版を採り上げていますが、なかでイヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管(1996)は声楽入り・なしの二つの版を併録して話題となりました。(フィッシャー自身は声楽なしの版により惹かれていたそうです。)
今世紀に入ってからも、90年代ほどではないにしろいくつもの新録音が市場を賑わしました。その中で注目すべきは、ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック(2006)のように、声楽入りの版が主流になった中で、敢えて声楽なしの版を手がける録音が登場したことです。今回紹介するマダラシュ指揮リエージュ・フィルの録音もやはり声楽なしの版を採り上げています。
さて、この曲について多少混乱があるように見受けられるのは版の問題です。この曲は1854年にいったん声楽なしのかたちで完成した後、当時の恋人であったカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人のリクエストに応じて声楽入りのコーダを書き足してから、1857年9月5日に初演されました。そのために声楽なしの版を1854年版、声楽入りの版を1857年版、あるいは出版年を採って1861年版と呼ぶことがあります。しかしこの呼称は問題です。理由を箇条書きにして挙げますと、
(1)現在IMSLPで入手できるもっとも古い版は1866年の第2版(シューベルト社版)ですが、これには声楽なし・ありのふたつのコーダが併記されています。以後すべての版が、ふたつのコーダが併記されるかたちで出版されているはずです。初版は未確認ですが、そちらも両方のコーダが収められていた可能性があります。
(2)確かに1854年に完成した時のかたちは声楽が入っていませんでしたが、そのときの楽器編成について、Wikpedia日本語版には「ホルンを除く金管楽器や打楽器、ハープ」が含まれていなかったとあり、英語版にも完成した後「heavy brass」のパートが声楽入りフィナーレとともに追加されたとあります。しかし、「1854年版」を謳った録音でそのような編成を採るものは、管見の限り見受けられません。
(3)アラン・ウォーカーによる大部の評伝では「リストは[いったん完成の]3年後に楽譜を見直し、フィナーレに『神秘の合唱』を付け加えたが、オリジナルの楽譜の大部分は変更されなかった」(仏語版第1巻p.803、Fayard社刊)とする一方で、1854年の初版では第1楽章のアジタートと指示された第1主題(当盤で4分のあたり)が8分の7拍子で書かれていて、これは7年後に出版される以前に書き直されたとも記しています(同p.794)。
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これについてはリスト自身、ウィリアム・メイソン宛の手紙(1854年12月14日付)で「8分の7や4分の7,4分の5といった拍子が、2拍子や4分の3拍子と交替で出てくる」とも述べていますが、「1854年版」を謳っている録音でそのような変拍子が聴かれるものは聴覚上ないように思います。現在私が参照しうる第2版以降の楽譜にはそうした変拍子は出現しません。
以上のような理由で、「声楽なし」=「1854年版」と呼んでしまうことには大いに問題がありそうです。これは1854年の手稿譜、および1861年の初版を参照すればより正確に事情が判明するでしょうが、それについては専門家の方にお任せしましょう。なお、前述の「声楽なし」での録音となったノセダ盤(Chandos)のブックレットにあるジョナサン・サマーズの解説は、声楽のあるなしを版の違いに帰さないように注意深く、かつあっさりと記述していて好感が持てます。
(さらにひと言付け加えておきます。この作品のポケット・スコアというと一般にオイレンブルク版が参照されるのではないかと思いますが、オイレンブルク版は1880年の改訂(第2楽章末尾に10小節の追加があるなど)を採り入れている上に独自の校訂を施しているようで、ディスクを聴く限りこの版通りの演奏を行っているものはないようです。ご注意ください。)
さて、演奏の話に触れる前にずいぶん長々と書いてしまいました。肝心のディスクの話です。ブダペスト生まれのゲルゲイ・マダラシュは2019年から王立リエージュ・フィルの音楽監督を務めているそうです。彼の演奏は以前紹介したブラビンズ盤と同様に、ヒロイックな高揚を抑制し、またロマンチックなテンポの動きを控えていくぶん淡泊に音楽を進めていきます。ブラビンスが加えて小編成によってオリジナルの響きに接近したのに対し、マダラシュは聴く限りそうした工夫を施してはいないようで、ふっくらとした柔らかみのある、かつフランス系のオーケストラらしい透明感を備えた色彩を全編に通わせた演奏で、版の表記の問題を別とすれば、非常に気持ちよく聴ける演奏であることは間違いありません。第2楽章の室内楽的な絡みも美しいし、両端楽章の強奏はがなり立てることなく、楽器の出し入れを丁寧に跡付けているのが楽しめます。心に残る演奏です。
最後に憎まれ口をもうひとつ。世評に高いバーンスタインとボストン響による録音ですが、私の入手したCDでは第1楽章半ば、冒頭主題が回帰している場面で約11小節欠落があり、主題の回想が1回で終わってしまっています。ちょっとこれは残念。LPではどうだったでしょうか。その後CDの編集は修正されたでしょうか。